『日本』令和7年7月号

七月号巻頭言 「日本の本質」 解説
竹内式部(たけのうちしきぶ) の宝暦事件と共に、勤皇運動の先駆けとされる明和事件において斬死となつた山やま県がた大だい弐に の主書、『柳子(りゅうし) 新論』の最初に記されてゐるのが「正名(せいめい)」篇である。
大弐はこの篇において、我が国の本質が如何(いか)なるものであるかを明らかにし、現実の乱れを厳しく批判した。その中で、我が国が「神皇(じんのう)、基(もとい)を肇(はじ)め」と述べてゐることは重要である。儒学全盛の時代にあつて、我が国 が神武天皇により建国されたことを明記し、その本質に基づいた議論をしてゐる点に注意する必要がある。
山県大弐は少年の日、我が国の大義を明らかにした崎門(きもん)の学を修めた加賀美桜塢(かがみおうう )に学んだことで、生涯を貫く基礎を形作つてゐる。その精神に基づいて、『柳子新論』の最初に「名を正す」ことを述べ、それを鎌倉以後乱れた現実批判の論拠としたのである。
「正名」を重視した先哲としては、水戸の藤田幽谷がをり、十八歳の時に記した「正名論」が良く知られてゐる。
それより約三十年前に「正名」の重要であることを強調して述べた著作が『柳子新論』であり、その最初に記された我が国の本質を記してゐる部分は、読む者の銘記すべきものであらう。 (堀井純二)