9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和8年3月号

 「令和の米騒動」と食料安全保障

 青木正篤 /一般財団法人日本学協会・理事


令和五年。猛暑により白濁などの高温障害を受けた米が大量に発生し、市場に流通できる量が減少した。そのタイミングで、円安を背景に拡大した訪日外国人(インバウンド)消費が重なった。さらに、麺類やパン類などの値上がりによって相対的な割安感が生じたことも米人気に拍車をかけた。加えて、政府が令和六年八月八日に発した「南海トラフ地震臨時情報」を受け、万が一の備えとして米を慌てて購入する消費者が急増し、米不足が顕在化した。

いわゆる「令和の米騒動」。すなわち米価の高騰は、需給の逼迫(ひっぱく)が原因である。令和六年六月末の民間在庫量は、前年より二一%減の百五十六万トンと、統計開始の平成十一年以降で最低となった。令和六年の需要量は政府見通しを三十七万トン上回る七百十一万トンであった。鈴木宣弘・東京大学大学院特任教授によれば、米不足の直接的な原因は生産量の低下であり、その背景には次の五点があるという。

 ①農家への過度な減反要請
 ②水田の畑地化推進
 ③過剰を理由とした低価格政策
 ④高コスト構造にもかかわらず農家を十分に支援しない行政
 ⑤政府備蓄米の運用上の不備

また、令和六年の政府発表による作況指数は平年並みの一〇一であったが、実際に米作りを行う者としての実感は大きく異なっていた。周囲の農家に聞いても「それほど収穫できていない」という声が大半であり、政府発表ほどの収穫がなかった可能性が高い。

令和七年も夏の猛暑と少雨の影響を受け、新米価格は五キロ四千円を超えた。令和八年一月四日時点の米の平均店頭価格は五キロ当たり四千四百十六円と、令和四年三月以降の最高値を記録した。なぜ需給がこれほど逼迫したのか、その原因を冷静に検証することが重要である。


米作りの現場から

私は令和二年に、ふるさとへ帰郷した。定住は五十年ぶりである。浦島太郎のような思いで見た故郷は、住民の高齢化と人口減少が進み、荒廃した農地が広がり、かつてとは大きく異なる姿であった。翌々年、六十七歳で米作りを始めたが、その際に抱いた思いは次のようなものである。

海外資源に依存する日本にとって、国際情勢の緊迫化や円安の進行により、食料を安価かつ安定的に確保していくことはすでに困難な状況にある。ロシアによるウクライナ侵攻では、小麦などの輸入が滞る事態が現実に起きた。生命を支える食料の多くを輸入に頼る我が国において、仮に輸入が途絶すれば、一千八百万トンの米が必要となるにもかかわらず、供給できるのは八百万トンにとどまるとの試算もある。もはや「お金さえ払えば、いつでも必要な食料が手に入る」という前提は成り立たない。

食料安全保障の観点から自給体制の強化が不可欠となる中、全国の耕作放棄地は農地面積の約九%に達していると推計されている。先祖代々、営々として築いてきた田畑が荒れ果てていくのは極めて由々しき事態である。地域の農地環境を守り、農業生産を維持・発展させたいとの思いから、地域の人々とともに農地環境保全会を立ち上げ、学生ボランティアも募りながら農地を守る活動を始めた。この活動も、今年で五年目を迎える。

周辺の農家からは、高齢化により自ら耕作できなくなったため、代わりに作ってほしいとの依頼が相次いだ。それらを引き受けなければ荒れ地になることは明らかであり、引き受けて稲作を続けてきた。その結果、米作りを始めて五年目となる今年は、当初の約三倍の面積を耕作するまでになった。

米作りの現場で日々実感しているのは、農業の現状が想像以上に厳しいという事実である。あと十年も経たないうちに担い手がいなくなり、集落の維持が困難になる可能性が高い。今、早急に対策を講じなければ、やがて日本人が主食の確保に窮する事態に陥りかねないとの危機感を強く抱いている。


令和の米騒動で明らかになった課題
 (一)農業の担い手の減少・高齢化

日本の農家に占める六十五歳以上の割合は令和四年に七割を超えた。担い手の減少と高齢化、農地の縮小が重なり、生産基盤のほころびは確実に広がっている。国際情勢の不安定化により輸入依存のリスクは一段と高まり、食料自給の重要性はますます大きくなっている。

マスコミや世間の関心は小売価格に集中しがちだが、生産現場の実態にも目を向ける必要がある。米価が高騰したとはいえ、実際には三十年前の水準に戻ったにすぎない。

令和の米騒動以前、米価は長年にわたり下落を続ける一方で、農機具代や肥料などの生産コストは上昇してきた。収益性の低さから後継者を確保できず、「基幹的農業従事者」の数は平成二十二年の約二百四十万人から令和六年には約百十一万人へと、半数以下にまで減少した。現在では主な米農家の約六割を七十歳以上が占めている。さらに農業への新規参入者の三分の一が六十五歳以上である。このままでは、あと十年も経たないうちに農家数が急減する可能性が高い。気候変動の影響も加われば、より深刻な米不足に陥るおそれは十分にある。


 (二)消費者の求める価格と農家の求める価格の乖離

消費者は米価高騰によって日々の暮らしに圧迫を感じ、生産農家は生産コストの上昇や異常気象による収量・品質の低下に直面し、採算が取れない状況に置かれている。

当時の石破総理は「五キログラム当たり三千円台でなければならない。四千円台などということがあってはならない」と発言し、米価の水準に言及したうえで、価格を下げるために政府備蓄米九十万トンのうち八十一万トンを随意契約方式で特定業者に緊急放出した。国民の主食である米の安定供給体制を確保することは政府の役割ではあるが、統制経済でもあるまいし、具体的な価格水準に踏み込んで市場介入し「市場をジャブジャブにする」との姿勢には強い違和感を覚える。しかも、生産を担う農家への対策についてはほとんど触れられなかった。これでは米農家の生産意欲が更に削(そ)がれるだけである。

実際、令和八年初頭の米の平均店頭価格は令和四年三月以降の最高値を更新した。七年産米の店頭価格は高値で張り付いたままである。

米価高騰を受けて民間による米の輸入は急増している。令和七年の民間輸入量は九万八千百三十四トンと、前年比九十五・四倍に達した。一キロ当たり三百四十一円の関税を支払っても採算が取れる水準となり、需要が高まったためである。米の輸入には国家貿易による無関税のミニマムアクセス枠が年七十七万トン設けられており、このうち主食用は最大十万トンに限られている。

一方、枠外の民間輸入には高関税が課され、国内農家を海外との価格競争から守ってきたが、外食産業など業務用では安価な米への需要が根強く、関税を払ってでも輸入する動きが広がる。農家が持続的に生産を続けられる環境整備が今こそ不可欠である。


 (三)抜本的な生産対策と消費者対策の必要性

生産調整の見直し、政府備蓄の増強、農地保全、稲作の担い手確保など、米政策には課題が山積している。農家が安心して生産量を増やし、新規参入も促すような環境を整えることが欠かせない。米価が下落しても経営を継続できるよう、セーフティーネットの強化が不可欠である。既存の公的収入保険の拡充や、所得の一定額を補償する欧州型の支援制度なども検討課題となろう。

高米価を放置すれば輸入が増えることは今回の事例が示している。これは食料自給率のさらなる低下を招きかねない。主食である米の生産体制を守ることは、食料安全保障の根幹である。需要減少を前提とした生産調整を続ければ、安定供給に恒常的なリスクを抱える。農業従事者の高齢化は深刻であり、価格補償などの対策と一体で生産体制の強化に取り組まなければ、先細りは避けられない。


 (四)食料安全保障の観点から見た米の備蓄制度の適切な運用

令和七年初頭に備蓄されていた米は九十一万トン。国内消費量の約一・五か月分にすぎない。そのうち八十一万トンが放出された。中国は有事に備え、十四億人の人口が一年半食べられる量の食料・穀物備蓄を進めている。非常時に備える観点から、現在の日本の備蓄水準が十分であるとは言い難い。

「食うものだけは自給したい
 個人でも
 国家でも
 これなくして真の独立はない」

昭和三十年、詩人で彫刻家の高村光太郎が岩手県開拓に寄せた詩の一節であるという。

国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、飢餓を招きかねない不測の事態において命を守るためのコストと比べれば、はるかに安い。いざというときに国民の命を守るためにも、農産物の販売価格が上がらず赤字に苦しんでいる国内農家のコストを国と国民がともに負担し、支えることこそが、真の食料安全保障につながる。