9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和8年5月号

憲法改正 

 奥村文男 /大阪国際大学名誉教授


一 始めに~昭和百年と戦後八十年~

昭和二十年を基軸にそれに遡る八十年と昭和二十年以降の今日までの八十年とを較べれば、近代国家の建設から大戦に至るまでの常に決断を求められた時代の重さと、占領と安保条約による対米依存、経済発展至上主義の生み出した戦後の軽さとが思わず対比される。もちろん、戦後の経済発展が日本を豊かにしたことは事実であるが、そのために我々は何かもっと大きなものを見失ったのではないだろうか。福沢諭吉が、「独立の気力なき者は国を思ふこと深切ならず」(『学問のすゝめ』)と述べた言葉は有名であるが、この小論のテーマである憲法改正に引き寄せて考えれば、八十年間、占領中に制定された憲法の一字一句が何ら改正されていないという状況は、国を思う「深切さ」が消滅してしまったことを雄弁に物語っているのではなかろうか。


二 日本国憲法はなぜ改正されないのか

現行憲法が八十年の長きにわたって全く改正されていないのは、世界でも稀なことであるが、其の理由としては、改正規定が衆参両院の三分の二以上の発議で、国民投票の過半数の賛成を必要とするという手続き的な難しさにあることは、その通りであろう。しかしながら、より本質的な改憲の難しさは、その心理的な要因が大きいものと思われる。以下その要因を挙げてみる。

  日本国憲法の神話化

文化人類学者のマリノフスキーは、「神話は呪術ばかりではなく、いかなる形態の社会的な力や権利の主張とも肩を組むことができる。その時その神話は必ず、特権や特別な責務、厳しい負担を説明するのに使われる」と指摘している。憲法の神話化・聖典化を支えたいわゆる進歩的文化人、マスコミ、護憲政党、日教組等がその布教者としての役割を演じてきた。そして彼らが、戦後社会にあって、敗戦利得者として幅をきかせてきたのである。

  神話化への貢献
①GHQの秘密検閲と公職追放

GHQは秘密検閲により、占領軍批判、極東国際軍事裁判批判、憲法起草関与への批判、検閲言及批判等の検閲を徹底して行い、いわゆる「閉ざされた言語空間」へと日本を追いやったが、これ以上に神話化に貢献があったのが、約二十一万人に及ぶ公職追放であった。昭和二十一年四月の総選挙前の立候補資格の審査で、進歩党候補二百七十四名の内二百六十名が追放され、また自由党四十三名の内三十名が追放され、自由党の鳩山一郎にいたっては,組閣の直前で追放された。「パージ該当となれば、現職から即刻罷免され、二度と公職に就職できないため、社会的に閉塞を余儀なくされた。……実質的に社会から抹殺されたも同然であった。しかも、当時はパージは永遠に続くと想定されていたため、誰もがパージを恐れた」(増田弘『公職追放論』)。現行憲法への改正は、追放を免れた敗戦利得者達の追認議会でなされたといってよい。

②敗戦利得者達による改憲

鳩山一郎の追放により、思いがけずに吉田茂が首相になったが、憲法改正の交渉に当たった吉田茂は、其の当時のことを次のように回想している。「憲法改正要綱の発表は、政府として十分納得し満足すべきものとしてなされたわけではなかった。端的にいって、憲法改正の要請に応じた方が、大局上有利なりと、我が政府において判断したのである。当時の聯合国との関係において、わが国としての当面の急務は、講和条約を締結し、独立、主権を回復することであり、……もとより憲法改正は大事なことであるが、右の様な客観的情勢の下においては立法技術的な面などにいつまでもこだわっているのは、策を得たものにあらず、その大綱において差支えないならば、改正案を取り纏めるのがよいというのが当局者の心事だったのである」(吉田茂『回想十年』)。「立法技術的な面」という吉田は自己欺瞞の単なる強弁であって、GHQとの交渉の実務を松本烝治担当相や法制局に一任して、国家の根幹をなす憲法という根本法の改正につき、GHQ案を殆ど鵜呑みし、安易な妥協に応じた吉田の責任は極めて大きなものであった。吉田退陣のあとに追放から戻った鳩山一郎が首相の座に就き、現行憲法の改正を強く訴えたが、昭和三十年及び翌年の衆議院、参議院のいずれの選挙においても三分の二の議席を確保できず、ついに改憲の断念に追い込まれた。鳩山以後の自民党政権は党綱領にもかかわらず、改憲には消極的姿勢で終始し、吉田体制に乗り、安保条約に依存した軽軍備、経済成長第一主義を取り続けた。


三 日本国憲法の危機管理上の重大欠陥   九条制定過程の出鱈目さ

マッカーサー・ノート第二項では、「国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は紛争解決の為の手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。いかなる陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない」となっていたが、九条を担当した民政局次長のケーディスは、「自衛戦争さえ放棄」するこの箇所は正当防衛権を奪うもので、無意味として削除したというのはよく知られた話である。さらに、政府が帝国議会に提出した憲法改正案九条には「国の主権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない」とあったのに対して、衆議院憲法改正小委員会委員長の芦田均が、「前項の目的」を追加し、二項前段「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」ができ上がる。芦田均は自衛の為の戦争ができるようにするため、二項前段に「前項の目的を達するため」の文言を追加したと説明している(芦田均『新憲法解釈』昭和二十一年十一月三日)。この経緯を受けて、自衛力は認められるが戦力は認められないという政府解釈が紆余曲折の結果採用されることとなった。

しかし、九条二項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の規定は、マッカーサー原則を残しており、芦田のこの点についてのコメントはない。自衛力は認められるが戦力は認められないとする政府見解はいまでも維持され、これ自体問題であり、自衛力を超えたものが戦力であり、戦力に満たないものが自衛力との説明は循環論法といえるが、より重要なのは二項後段の交戦権の否認規定である。

  有事に自衛隊は十全に戦えるのか

単純な疑問として、自衛戦争であっても交戦権は憲法上行使できないことになるが、それなら実際上自衛戦争はできないことにはならないのか。国会における珍妙な禅問答を抜粋して紹介してみよう。

浅田均委員(維新)……九条二項で「国の交戦権は、これを認めない」と。概念も明確でないそういう言語、交戦権という言語を九条二項に置いているがゆえに、……二項を残して自衛権を明記するという考え方に立つならば何か当然おかしくなってくるわけで、そういう明確でないような交戦権というやつを当然取った上でなら理解できるんですけれども、……「国の交戦権は、これを認めない」というところを残してまた何か追加するというような声が聞こえてきますので、交戦権とは何かというのに非常にこだわっているんです。……戦闘行為している自衛隊、これは交戦権といったら、間違いになるんですか。

政府参考人 自衛権の行使でございます。
委員 いや、だから、交戦状態、自衛権を行使して交戦状態になるということに関しての規定がある訳でしょう。だから、自衛権の行使というのはその中に交戦権というのは含むんじゃないんですか。
政府参考人 浅田委員は今、交戦ということは一般的な用語でお使いになっているんだと思いますけれども、いわゆる憲法九条の交戦権というのは、……それ固有の意味があるものでございます。それとの関わりでいいますと、我々は一般にこれを戦闘行為というふうに言っているということでございます(第百九十七回参議院外交防衛委員会 平成三十年十一月二十二日)。

交戦権の行使と戦闘行為とを切り離し、前者は認められないが、後者は自衛権の行使として認められるという政府解釈は、常識的には理解しがたい。九条二項後段に拘泥した結果、国際法で認められている国家の諸権利を憲法自身が否定しており、有事における交戦者として自衛隊が防衛の任にあたることを大きく妨げる要因である。交戦権の否認と専守防衛により、最初から自衛隊は手足を縛られている。敵国側軍需施設などの空爆、敵国私有財産の没収、中立国船舶に対する公海上での臨検・拿捕、捕虜待遇は受けられるのか等、多々疑念があり、国防にとって致命的欠陥になるおそれが高い。

現行憲法制定に深く関与したケーディスは、「最後の交戦権ですが、これは実のところ日本側がその削除を提案するよう、私はずっと望んでいたのです。なぜなら、『交戦権』というのが一体、なにを意味するのか私にはわからなかったからです。いまもってよくわかりません」(古森義久『憲法が日本を滅ぼす』)。

このようなつぎはぎだらけの安普請を、平和主義の聖典と崇める精神は尋常ではない。


四 憲法改正の必要性
  名誉の回復

これまで内閣憲法調査会で七年、衆参憲法調査会で五年をかけ、さらに平成十九年設置の憲法審査会は未だ審査中であり、国会の怠慢は甚だしい。また、政権与党の自民党は党綱領を無視して長年改憲には消極的であった。占領中に制定された憲法の改正なくして国家国民の名誉を回復する途はほかにはないことは明瞭である。

  危機への対処の必要性

現行憲法には危機管理の規定がない。参議院の緊急集会があるが、参議院自体が集会できない場合には、無意味である。そもそも緊急集会は、非常時の対処を想定していない。危機を想定しない憲法とそれをよしとする学説や一部野党の存在が、国民の生命財産等を危うくするおそれがある。過去に起きた大地震はいわずもがな、首都直下型地震一万八千人、南海トラフ地震二十九万八千人の死者数を内閣府中央防災会議は想定している。地方レベルでは対処できないのは明らかであり、中央政府の非常事態に対応できる憲法上の根拠が必要不可欠であるといわなければならない。

  自衛隊に憲法上の根拠を付与

自衛隊を国軍として明記して、憲法上の疑義を払拭することが何よりも大切である。東アジア情勢の一層の緊迫、台湾有事等を考えれば、憲法改正は待ったなしであり、自衛隊の国軍化は、戦争のできる国ではなく、戦争を仕掛けられない国にするためのものである。


五 憲法改正の進め方

国民投票にかけるには、議員提出方式か憲法審査会での採決によるか二つの方法が可能である。前者の議員提出方式では、衆議院では百名以上、参議院で五十名以上の各議員賛成が必要である。憲法審において過半数で可決されれば衆参両院に送られ、各三分の二以上の賛成で国会が発議を行い国民投票にかける。賛成が有効投票数の過半数の場合に改正案は成立する。また、憲法審方式では、憲法審にて過半数の賛成で改正原案を国会に提出でき、同様に国会発議を経て国民投票にかける。これまで憲法審が消極的なため憲法審での原案採決は期待薄であったが、自民と維新との連立合意の基本方針により、両方の発案方式が可能になった。


六 高市政権の誕生と衆院選での劇的勝利の影響

高市内閣は、安倍内閣以外のこれまでの歴代政権と異なり、改憲に積極的な姿勢をたびたび表明している。その背景としては、昨年十月の公明党の離脱に伴う維新の会との連立合意の成立が大きい。連立合意書には、「我が国は、自立する国家として日米同盟を基軸に極東の戦略的安定を支え、世界の安全保障に貢献する。我が国にはそのような覚悟に加え安全保障環境の変化に即応し、『国民をどう守るか』『我が国の平和と独立をどう守るか』というリアリズムに立った視座が不可欠である。両党はこのリアリズムに基づく国際政治観および安全保障観を共有する」と謳い、この観点から九条改正と緊急事態条項の創設を掲げ、そのために、衆参両院の憲法審査会に条文起草委員会を常設することを取り決めた。今一つの改憲への大きな流れは、高市政権の令和八年二月の衆議院選での地滑り的勝利と反対勢力の激減である。自民党が三百十六議席を獲得し、その他の改憲政党と合わせると三百九十五議席となり、改憲反対の左派勢力(旧立民、共産、社民、れいわ)は二十六議席と大幅に議席を失った。二月の最新調査では、新議員の圧倒的多数が改憲に賛成であり、また各種の世論調査でも、過半数の者が改憲に賛成している。問題は参議院であるが、現状では改憲勢力は三分の二に数名不足しているが、その後の動静によっては改憲発議も不可能ではない。


七 今後の展開

すでに見たように改憲賛成の各党間で合意できる事項をまとめ、改正原案の策定・起草を行い憲法審に下ろす、あるいは、憲法審査会に起草委員会を設け、条文を起草して多数決で可決の上、国会に発案する。その後、国民投票に掛ける。すでに、令和五年三月三十日、三党派(維新、国民民主、有志の会)間で緊急事態条項創設への合意(議員任期延長、憲法裁判所、緊急政令等)がなされている。具体的には、議員任期延期の条文案として、「①武力攻撃、②内乱・テロ、③自然災害、④感染症の蔓延、⑤その他これらに匹敵する事態の発生を前提に、広範な地域において国政選挙の適正な実施が七十日を超えて困難であることが明らかな場合には、内閣の発議と三分の二の国会議決を経ることを条件に、六ヶ月を上限に任期延長を認める」を発表。さらに、同年六月十九日に追加条文案を発表、「武力攻撃、内乱・テロ、自然災害、感染症の蔓延等の事態に対処するために国会機能を維持する特別の必要があるときは、国会の承認等を条件として内閣が緊急事態を宣言し、国会の閉会及び衆議院の解散並びに憲法改正を禁止する」とした。

九条については、自民党は令和六年九月二日に憲法改正実現本部が論点整理を発表し、そこには九条の二を新設して自衛隊を明記することが謳われている。

しかし、九条の二の新設は無意味であり、すでに説明したように、九条二項を放置したままでは自衛隊が軍か否かの議論は依然として残ることになる。自衛隊を軍として規定し、戦力であることを明確にする改憲でなければ無意味であり、九条二項の削除こそ改憲の王道である。この点については、自民党、維新の会、改憲に賛成の野党間で条文案を確認する必要がある。


八 終わりに

改憲の意義とは何かについて最後に確認しておきたい。それは国家を利益の体系から価値の体系、力の体系へと昇華させるものである。冒頭に述べた虚構神話からの覚醒と常識の復権、国家・政府の役割の確認、共同体の維持、生命・自由・財産の保護こそが、改憲の大義といわなければならない。