『日本』令和8年5月号

五月号巻頭言「痛恨歌」解説

この歌は、千早鍛錬会ではお馴染(なじ)みの唱歌で、日本学協会の歌集『益良雄の歌』(六八頁)に収められてゐる。ネット配信のユーチューブ「痛恨歌」(作曲・森孝太郎)は殆んど同じ歌詞ながら、現代風の曲で「作詞者不明」とあつたが、実は早くに判明してゐた。

『BC級戦犯英軍裁判資料(上)』(茶園(ちやえん)義男編著、昭和六十三年八月、不二出版)には、作詞は松岡憲郎(けんろう)憲兵大尉、作曲は二十八軍軍楽隊と明記されてゐる。楽譜も記載され、知人にピアノで弾いて貰ふと、千早で習つた通り、悲愴なメロディーである。ただし字句には若干の異同があり、千早での三番「仆(たお)れし戦友(とも)の痛恨は」が「従容逝きし痛恨は」とある。

これと併読したい本に、『「痛恨録」南十字の星陰に 故松岡憲郎・憲兵大尉の遺書』(福原治平(じへい))、平成十四年四月)がある。本書は昭和四十年に田原恒春氏謄写本を託されたものである。作詞者の松岡大尉は、ビルマ国タトニ県チャイトでの通敵者殺害事件を問はれ、英軍法廷で一方的な絞首刑の判決を受け、昭和二十一年十一月九日、三十二歳にしてラングーン刑場の露と消えた。その透徹した死生観に打たれる。翌年二月十六日、アーロン収容所での遺詠発表会に「痛恨歌」も合唱隊演奏で披露された。「つぎの世も君が御楯(みたて)と生れ来て驕る夷(えみし)等打ち払はなむ」を辞世に、聖寿萬歳を唱へ「皇国再建ヲ祈リ七生報国ヲ期ス」とした。 (廣瀨 重見)