『日本』令和8年6月号
麻あって日本あり ― 知られざる「大麻」の真実
葛城奈海 /ジャーナリスト
みなさんは、「大麻」と聞くと、どのような印象をお持ちでしょうか。おそらく大多数の方が、まずは「違法薬物」を連想するのではないかと思います。その一方で、神棚の中央に祀る伊勢神宮のお札を「神宮大麻」と呼びますよね。不思議だと思いませんか。実は、日本古来の「大麻」は、神事にも生活にも欠かせない、日本人にとって米と同じくらい重要な植物だったのです。そんな植物が、本来どのような役割を果たし、なぜ危険視されるようになったのか、そして栽培の現状と今後のあるべき姿について、お伝えしたいと思います。
日本人にとっての「大麻」
まず知って頂きたい大前提として、一口に「大麻」と言っても実はいろいろな種類があります。幻覚作用や記憶力への影響をもたらすのは、大麻の花穂と葉に含まれるTHC(テトラヒドロカンナビノール)という成分です。その含有量によって「薬用型」「中間型」「繊維型」に大別できます。このうち日本古来の大麻は「繊維型」で、向精神作用をもたらすTHCの含有量が少ないため、違法薬物として用いる習慣がそもそもありませんでした。幻覚作用をもたらすのは「インド大麻」など、外国産のものなのです。
日本古来の大麻は、種を蒔いてから僅か三か月で二~四メートルに成長します。その生命力の強さや、すくすくとまっすぐに伸びることにあやかり、昭和の時代までは麻子、麻実、麻世、麻代など子供に「麻」の文字が入った名前をつけることも多くありました。また、近年では大ヒットアニメ『鬼滅の刃』の影響もあり、主人公の妹・禰豆子(ねずこ)が着ている着物の柄でもある麻の葉模様をよく見かけるようになりました。もともとは赤ちゃんの産着(うぶぎ)に麻の葉模様が使われることが多かったのも、生まれてきた子供が丈夫に育ってほしいという両親の願いの表れでもあったでしょう。そもそも日本では麻を「お」などと呼んでいたのですが、明治以降に入ってきた外来の丈の低い麻である亜麻(リネン)や苧麻(ちょま)(ラミー)と区別するために、在来の種を「大麻」と呼ぶようになったと言われています。
繊維としては水に強く丈夫であることから、布団、茅葺(かやぶき)屋根材、凧糸、釣り糸、漁網、鼻緒、弓弦、蚊帳(かや)、畳の経糸(たていと)などさまざまな用途に用いられました。意外なところでは、麻の実は今でも七味唐辛子に入っています。
そして何より忘れてならないのが、「聖なる力が宿る植物」として日本文化の核心である神道の神事に重用されてきたことです。神話の時代まで遡れば、天照大神が天の岩戸にお隠れになったときに、世の中に光を取り戻すために準備された榊に掛けられた「青和幣(あおにぎて)」とは麻のことです。また、神社にお参りする際、鈴を鳴らす「鈴縄」や、祓いに用いられる幣(ぬさ)にも麻が結ばれていますし、大切なお祭りの際に神職や巫女(みこ)さんが頭や髪に結ぶのにも麻が用いられています。穢れや罪を祓う祝詞のひとつである大祓詞(おおはらえのことば)には「天つ菅麻(すがそ) を本(もと)刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟(さ)きて」という一節が出てきます。これは、「清らかな麻の根本と先端を刈り切り、真ん中のよいところを取って針のように細かく裂いて」大幣(おおぬさ)に使うという意味です。さらには、大相撲の横綱が土俵入りの際に巻いている「横綱」も麻でできています。
麻が「悪者」になった理由
そんな日本古来の大麻まで「悪者」になってしまったきっかけは、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって「種子を含めて本植物を絶滅せよ」という指令が出されたことに起因しています。日本人にとって、「はい、承知しました」と素直に従えるものではありません。衣食住から神事に至るまで欠かせない植物である麻の栽培が、全面禁止されてしまうなど到底納得できませんから、国を挙げてなんとか食い止めようという動きが起こりました。そして、当時の農林省や厚生省がGHQに対する説明と折衝を繰り返した結果、なんとか全面禁止を回避し、条件付きながら都道府県の認可制で栽培を継続する許可を勝ち取ることができたのです。
なぜGHQはそこまで大麻を危険視したのでしょうか。世界的に危険薬物禁止の流れがあったとはいえ、向精神作用のほとんどない日本古来の大麻まで目の敵にしたのは、「日本人の強さを養う源のひとつ」だと見なした可能性があるのではないかと、私は考えています。戦中の日本人の戦いぶりに心底畏怖の念を抱いたからこそ、「大麻=危険薬物」という大義名分を掲げて、日本が再び強くなり、自分たちに歯向かってくる要素の芽のひとつを、摘もうとしたのではないでしょうか。 とはいえ、その後の日本の歩みは、経済効率を優先させ、こうした流れを自ら加速したように思えてなりません。化学繊維の普及もあいまって需要が減り、神社でさえ、「国産の大麻は高いから」と中国産の大麻、あるいは化学繊維で鈴縄などを代用するケースが増えています。戦後の復興需要期には三万七千人以上いた大麻栽培の免許取得者が、気が付けば、三十人ほどにまで激減してしまいました。もはや、風前の灯です。
国産大麻復権の動き 「伊勢麻」の軌跡
「そんなことではいけない」と立ち上がった日本人がいました。伊勢神宮のお膝元、三重県で「国産大麻で伝統的な神事を継承する」と伊勢麻振興協会が平成二十六年(二〇一四)に発足。翌年、一般社団法人化。栃木県の大麻農家に研修生として派遣された谷川原健・未来夫妻が二年間かけて栽培技術を習得し、三重県に戻って免許を取得しようとしたところ、あろうことか、三重県は、二度までも不許可にしました。理由は、外国産などで賄えること、盗難防止対策不十分でした。
平成三十年(二〇一八)、ついに許可が下りたと聞き、取材を申し込みました。谷川原さんのことは、栃木での修行時代にも取材していたので、自立して活動を始められたことを我が事のように嬉しく思っていたのですが、驚いたことに「県の規制が厳しくて栽培している畑は見せられない」というのです。畑には二十四時間監視の防犯カメラや高さ二メートル超の堅固な柵の設置が義務付けられ、何台ものカメラの映像をすべてチェックして、仮に人が写っていたら人物を特定して報告しなければならないとのこと。「警備会社なんだか農家なんだかわからない」「映っているのは、ほとんど鹿や猪ですけど」と谷川原さんは苦笑していました。この時は、収穫・乾燥後の大麻を発酵させて精麻(大麻繊維)を生産する過程を取材させてもらいました。その中で、精麻に必要な表皮を剥いだ後に残った芯「麻(お)ガラ」を焼却処分しなければならないと聞いて耳を疑いました。「麻ガラ」は本来、茅葺屋根、松明(たいまつ)、お盆用等、さまざまな利用価値があります。にもかかわらず、三重県が出した免許は「精麻の神事利用。副産物は使用不可」が条件で焼却しなければならないというのです。理不尽さに言葉を失いました。
それから八年。この春、再び取材目的で三重を訪ねました。伊勢麻関係者の粘り強い交渉の結果、令和四年(二〇二二)、三重県は昨年の改正大麻取締法の施行に先駆けて大麻取扱者指導要領を改正し、免許要件を大幅に緩和したのです。神事用の生産だけでなく、大麻を活用した研究開発、産業利用、GX(グリーン・トランスフォーメーション/脱炭素・循環型産業への転換)推進が可能になりました。「明和町では線路そばの麻畑が電車からでも見える」と聞いたときには、過去の実態を知っている私は半信半疑でした。ですが、その言葉通りの光景が広がっていたのです。
現在、産官学が連携した伊勢麻振興プロジェクトの中心地となっている三重県明和町は、織物に大変縁の深い土地柄です。古来、伊勢神宮に仕えた未婚の皇族女性であった斎王が住んでいた斎宮があり、線路そばの麻畑も斎宮跡に所在しています。そして、一帯は、歴史的にも神宮で使用する麻の栽培地でした。斎宮の氏神である「竹神社」のご祭神は、天の岩戸開きの際に青和幣を織ったとされる麻の神様、長白羽神(ながしらはのかみ)です。こんな場所で、麻復権の狼煙(のろし)が上がったなんて、偶然とは思えません。
今般の取材では、八年前に見ることができなかった麻畑にもご案内頂きました。五十鈴川の上流の山奥にあり、既に監視カメラのほとんど外されていましたが、二メートル毎に立つ柵の支柱ごとに設置跡があり、いかにものものしい警備をしていたかが偲ばれました。
大麻文化の継承は日本を守ること
並々ならぬ情熱と涙ぐましい努力を重ね、時代の歯車を動かした関係者のみなさんの尽力に心から敬意を表します。とはいえ、麻栽培を持続可能なものとしていくためには、産業として成り立たせなければならず、まだまだいくつものハードルがあります。これを乗り越えるためには、日本人にとっての大麻の重要性を多くのみなさんに知っていただく必要があります。そして、その文化を継承するために力を貸していただけることを願ってやみません。それはまた、日本という国を守ることにもつながるのです。



