『日本』令和元年9月号
不登校解決の鍵は道徳教育にあり
渡邊 毅 /皇學館大学准教授
不登校をゼロにした先生
川崎で引きこもりだった男が、小学校児童らを殺傷するという痛ましい事件が発生した(五月二十八日)。不登校が引きこもりのきっかけになった事例が数多く報告されているが、一昨年度、小中学校の不登校児童生徒数は十四万四千三十一人となり過去最多を更新した。
このように深刻度がさらに増す不登校問題だが、これに対して果敢に取り組み成果を挙げているのが、工藤弘氏(長野県安曇野市立小学校教諭)である。工藤氏は不登校コーディネーターという役職を帯び、かつて全国平均以上の不登校生徒がいた中学校でそれをゼロにし、次に異動した小学校でもゼロにした凄腕の先生である。工藤氏は、主に次の①~④の取り組みによって「不登校ゼロ」を達成している。 ① 「気になる子ども発見アンケート」の実施、②不登校・登校しぶりへの六段階対応法、③相談室での自己効力感教育法、④「七つの活動」によるクラスでの取り組み
道徳的価値と不登校のリスク
①「気になる子ども発見アンケート」(五段階評定)は、不登校の予防的対処法である。これを子供たちに実施して、「気になる」子供の状態をつかんでおく。不登校も病気と同じように早期発見、早期治療が大事で、その兆候を逸早く見つけ出し、それに対処していくのである。アンケートで注目すべきは、その質問内容が道徳的価値(徳目)にかかわっていることである。例えば、「チャイムや先生に頼らず、自分で時間を見て行動できる」(自主・自律)、「先生や年上の人に、挨拶や会釈ができる」(礼儀)、「自分の目標をもって生活できる」(強い意志・克己)といった質問事項が並んでいる。この項目を見て、「なぜ道徳と関係があるのか」と疑問に思われるかもしれない。しかし、これらの項目と不登校傾向の関係を見るために心理統計により相関係数を計算したところ、「相関あり」という結果が得られているのである。つまり道徳的価値を身につけていない子供が、不登校に陥りやすいリスクを持っているということだ。したがって後述するように、③相談室での自己効力感教育法、④「七つの活動」によるクラスでの取り組み――にも道徳教育的な要素がかなり多く取り込まれているのである。
道徳的に評価して自信をつけさせる
②不登校・登校しぶりへの六段階対応法は、不登校及びそれになりかけている子供への対応と指導である。五つのステップを踏んで子供を学校に登校させ、まだクラスには入れない場合は、第六段階として、相談員による相談室での対応である。そして、ここで行なわれるのが、③の自己効力感教育法である。これは、不登校をなくすアイテムとして工藤氏が考案した「たまPカード(たまったポイントカード)」が使用される。子供に毎日書かせるポイントカードなのだが、これをやっていると子供が自信をつけて回復していくという。クラスの授業を受けたときのポイントの他に、「あいさつをする」「『ハイ』と返事をする」「友だちに役立ったよいこと」「感謝について記入しよう」「くつのかかとをそろえる」「給食当番」などの徳目に関する項目があり、これを評価させたり記入させたりして相談員に提出する。
相談員が、「もともとあなたには力があるのです。こういうことが大切なんだよ。すばらしいね」などと褒めていくと、子供は自信をつけていく。自信を高めていくことでクラス復帰ができるようになっていくのである。毎日、「〇〇さん、ありがとう」と感謝の気持ちを持たせることは、不登校を減少させることに関係があることが分かってきたと、工藤氏は言う。
最後の④「七つの活動」によるクラスでの取り組みは、不登校を未然防止・抑止するための指導である。「七つの活動」とは、⑴日直・係活動等をしっかり行なう、⑵頼りになる友達をつくる、⑶挨拶・礼儀をしっかり行なう、⑷人の役に立ったり、感謝したりする、⑸いろんな友達と話せるようにする、⑹クラスのルール・決まりをしっかり守る、⑺子供のよい行ないを保護者から褒めてもらう――である。⑴~⑺について教師がそのやり方と大切さを示し、教師が子供を褒め自信をつけさせていくのだが、ほぼこれらの指導は道徳教育だと言って良いだろう。道徳教育が不登校を予防し、登校しぶりの子供に自信を与えていく指導になっていることを工藤氏の実践が示唆していると言えよう。工藤氏は言う。「正しいことをどれだけ子供に伝えるかで、次の時代の不登校や問題行動は変わってくるのではないか」。
思いやり・感謝は人に幸福感をもたらす
このように工藤氏は、道徳教育を基盤にすえて不登校を予防したり対処したりしている。では、なぜ道徳教育が不登校対策に有効なのだろうか。工藤氏は「七つの活動」の中で「人の役に立ったり、感謝したりする」ことを指導していた。また、気になる子どもを発見するアンケートの質問項目や相談室に通う不登校生徒を励ます視点にも、思いやり・感謝の徳目が入っていた。
この「思いやり」という道徳心だが、近年の脳科学により、思いやりや慈愛の感情を抱いているとき、あるいは利他的な行動をとるときに、神経伝達物質であるドーパミン、オキシトシン、β(ベータ-)エンドルフィンが分泌されることが確認されている。これらは「脳内快感物質」とも呼ばれ、喜びや幸福感、意欲に深い関わりをもつ物質である。ドーパミンは気分を高揚させ、やる気を起こさせる。その分泌量が多いとやる気がわくが、少ないと落ち込む。脳を覚醒させるので、集中力を高め学習を強化させる。オキシトシンには、社会的結合を形成しやすくさせ利他的な行動に駆り立てる作用があるので、さらに道徳心や道徳的行動の促進が期待できる。また、オキシトシンは血圧やストレスホルモン(コルチゾール)の量を下げる働きがあるので、身体の健康にもプラスに作用する。オキシトシンは、ネガティブな感情や不安や恐怖などを覚えたときに働く扁桃体の活動を抑える作用もあり、他人を信頼するホルモンとしても知られている。
リチャード・デヴィッドソンは、チベット僧たちの脳が〝慈悲の瞑想〟と呼ばれる思いやりの気持ちを育む修行中、どのように活動しているのかを実験調査した。瞑想に入ると僧の脳の左前頭葉前部が、非常に高く活性化したことがMRI(機能的磁気共鳴画像法)で測定された。左前頭葉前部は幸福感にかかわる脳の領域である。そしてこの瞑想中、不幸感や不安などの情動を起こさせる脳の領域(右前頭葉前部)の活動が低下することも明らかにされた。
感謝の気持ちも、エモンズとマクロフの心理学的な実験によって、幸福感が増すということが判明している。また、感謝の念を抱き続けた人たちは、頭痛や下痢など体調不良を訴えることが少なかったそうだ。さらに二十五万人以上を対象にしたソニア・リュボミルスキーの調査では、幸福感は人を社交的にして思いやりを向上させるということも報告されている。また、被験者たちに一週間、意識的に親切な行為をしてもらう実験を、リュボミルスキーが行なっているが、その結果、被験者たちは以前よりもさらに健康的で充実した生活が送ることができるようになったということが報告されている。
思いやりや感謝の念を抱いたり親切なことをしたりすると、このように主観的幸福感や身体の健康の向上、さらには向社会的な行動を促進させる効果が認められているのである。幸福感が低く身体の不調・無気力・不安傾向を訴えやすい不登校の子供にとって、こうした道徳心を抱かせるよう指導していけば、やはり工藤氏の実践と同じような効果が期待できるのではないだろうか。
本欄でご紹介した工藤氏の実践をもっと詳しく知りたい方は、工藤氏と市川千秋氏との共著『不登校は必ず減らせる 六段階の対応で取り組む不登校激減法』(学事出版)をお薦めする。