『日本』令和2年3月号

「自由で開かれたインド太平洋戦略」に注目しよう

宮地 忍   /元名古屋文理大学教授


我が国の「自由で開かれたインド太平洋戦略」が、着実に進展している。中東に海上自衛隊の護衛艦が増派され、二月から活動を始めたのもその一環と言える。個々のニュースでは「インド太平洋戦略」という大きな背景は紹介されないが、南太平洋とインド洋、その沿岸諸国を見据えて、体系的な施策が行われるのは、大東亜戦争後では初めてのことでもある。平成から令和の時代に向かい、我々も大きな視点で見詰め、考えたいものである。


海洋と沿岸諸国の発展と平和を後押し

「インド太平洋戦略」は、米国も国際戦略の一環として重視するが、元々は日本が定義づけた。平成二十八年(二〇一六)、日本主唱の「アフリカ開発会議」(TICAD)の基調演説で安倍晋三首相が語ったのが始まりとされる。「戦略」の用語が嫌われ「インド太平洋構想」と呼ばれることもあるが、成長著しいアジア大陸と潜在力溢れるアフリカ大陸。それを結ぶ太平洋、インド洋。ここに、法の支配と航行の自由、自由貿易を普及、定着させる。それにより、地域全体の経済発展、平和と安定を確保しようというものだ。

米国のトランプ大統領も賛同。二〇一八年には、ハワイに司令部を置く「太平洋軍」を「インド太平洋軍」と名称替えしている。指揮下の太平洋艦隊第七艦隊、太平洋空軍第五空軍、太平洋海兵隊第三遠征軍は、日本に司令部を置く。第七艦隊は、西太平洋とインド洋を活動範囲にしている。


中国の乱暴な「一帯一路構想」を牽制

「インド太平洋戦略」は、中国の「一帯一路構想」を意識したものでもある。中国の「一帯一路構想」は、二〇一四年に習近平・主席が提唱した。中国からユーラシア大陸を経てヨーロッパにつながる陸路(一帯)と、中国沿岸から東南アジアを経てアラビア半島、アフリカ東岸をつなぐ海路(一路)を想定、インフラ整備と貿易促進を目指している。シルクロードの復活と、海のシルクロードの開発である。

ただ、強権国家の中国が主導する構想であるから、穏やかでない面もある。古代シルクロードの要地でもあった中国・新疆ウイグル自治区では、ウイグル族などの知識層・活動家の教化収容所送り、独自文化の抹殺、漢族による入植支配が続けられ、国際的な批判を浴びている。

新疆ウイグル自治区は、中国と西域を結ぶ位置にあり、古代のシルクロードでは、オアシスに点在した都市国家が重要な交易地になっていた。地下資源も豊富で、イスラム教国の東トルキスタンとしての独立と中国併合を繰り返している。現代の中国政府としては、新シルクロード(一帯)の要地が、漢族からの自立を考えては困るわけだ。

海のシルクロード(一路)の起点でもある南シナ海でも、異変が起きている。中国が岩礁を埋め立てて滑走路などを造っていることが二〇一四年に明らかになった。幾つもの人工島を軍事基地にして、広大な海域の領海化を図る中国に対し、二〇一六年には、国際司法機関であるハーグの常設仲裁裁判所が「満潮時に水面下に沈む岩礁を埋め立てても領土にはならない。中国の主張に法的根拠はない」との判断を行った。だが、中国の領土・領海の主張と人工島の拡張作業は止まらない。米軍が「航行の自由作戦」として艦艇の定期通航を行い、既成事実となるのを阻止している。

また、一帯一路の沿線国のインフラ整備でも、政治・経済の未熟さに乗じた過剰投資が注目を浴びている。スリランカは、同国第三位のハンバントタ港の建設を中国借款で行ったが、稼働率の低迷で、二〇一七年に港湾運営権を中国国営企業に九十九年間の契約で譲渡した。「九十九年」といえば、帝国主義国家が弱小国に領土の一部を事実上割譲させた租借権の代名詞でもある。その他、マレーシアでは国家債務が二十七兆円にも達し、政権交代により、二兆一千五百億円の鉄道建設計画を五千八百億円に減額することを中国に認めさせた。スリランカやインドの西南沖に位置するモルジブでは、中国への債務返済額が国家歳入の半分相当になるとされ、アフリカ東部、紅海にも面したエチオピアでは、債務額が国内総生産の六〇%近くに達しているとされる。


自衛隊の活動範囲も穏やかに広がる

日本の「インド太平洋戦略」は、中国の「一帯一路構想」を必ずしも排除するものではない。法の支配と航行の自由、地域全体の経済発展、平和と安定の確保が図られるものであるか否かを問題にする。「インド太平洋戦略」には、米国のほか、オーストラリア、インドなどが主要な賛同国として動いており、中国に法の支配や地域の平和と安定を迫る側面もある。

日本はODA(政府開発援助)の大国として知られており、昭和三十五年(一九六〇)からのアジア、アフリカ、太平洋諸国へのODA総額は平成二十九年(二〇一七)末までで三千三百七十二億ドル(約三十六兆七千億円)になる。相手国の自主性を重んじ、現地企業と協力、現地雇用の創出を図るのも、「一帯一路構想」とは大きく違う点である。「インド太平洋戦略」においても、各国の港湾、鉄道、道路の改修、税関の近代化、防災体制の整備、行政官の人材育成、法令の整備――などの支援に取り組んでいる。

注目すべきなのは、「平和と安定の確保」のための援助だろう。海上保安庁の関連では、問題の南シナ海を囲むフィリピン、ベトナム、マレーシアに計四十隻の新造・退役巡視船艇を供与、または供与を予定している。防衛省関連では、オーストラリア、インドとは、米国以外では初めての「安全保障に関する共同宣言」を行い、両国軍と自衛隊との共同訓練も行うようになって来ている。親善的な共同訓練は、フィリピン、スリランカなどにも広がった。オーストラリアとは、物品役務相互提供協定(ACSA)も結ばれており、外国軍との共同訓練は日米間だけだった時代を考えれば、隔世の感がある。

冒頭に書いた中東への海上自衛隊の派遣は、紅海~スエズ運河につながるアデン湾での海賊対処行動として平成二十一年(二〇〇九)から行われており、護衛艦一隻、P3C哨戒機二機が国際協調の下で活動、アフリカ大陸側のジブチで自衛隊航空基地の提供を受けている

今回派遣した護衛艦一隻、P3C哨戒機二機は、元々はペルシャ湾警備の「有志連合」という米国の呼び掛けがきっかけだったが、ペルシャ湾北岸のイランとも友好関係にある日本はこれには加わらず、活動範囲もペルシャ湾、ホルムズ海峡は除き、海峡入口のオマーン湾からアラビア半島の東岸に止める。「有志連合」とは情報交換に止め、湾口南岸のオマーンに補給拠点を設ける。二機のP3C哨戒機は海賊対処部隊の二機との交替でもあり、二つの任務を兼ねて活動領域を広げる。アフリカ、中東に自衛隊が活動拠点を持つ意味は大きい。

後続の護衛艦は、防衛省設置法による「調査・研究」という派遣命令が話題になった。危険に直面すれば、「海上警備行動」に切り替えられるが、思い出されるのは平成四年(一九九二)のPKO国会だ。PKO(国連平和維持活動)への参加は軍国主義につながると野党は主張し、国会の議場で座り込みまでして反対した。「調査・研究」のあいまいさは、こうした野党勢力の残党を気にしているからではないのか。「インド太平洋戦略」の大義による派遣であると明言、関連法規を整えるべきだろう。