『日本』令和2年5月号
新型コロナウイルスと危機対応
廣瀬 誠 /元自衛官
武漢で昨年末に発生したとされる新型コロナウイルスは、急激な勢いで広がり、三月十一日、WHOは、 パンデミック(世界的大流行)を宣言した。三月十日、政府は、新型コロナウイルスの感染の拡大に備え「緊急事態宣言」を可能とする、既存の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改正案を閣議決定、同法案は、十三日に成立、翌十四日、施行された。これにより、政府が、その区域と期間を定めて緊急事態を宣言すれば、その都道府県知事は、外出の自粛要請、休校、興業施設の利用制限などの要請・指示、物資の売り渡し、土地使用の要請等を実施できるようになった。また、臨時医療施設の開設や、緊急事態に必要な通信を優先的に取り扱うための措置、政府関係金融機関による特別融資が可能となった。
四月七日、政府は、感染拡大を踏まえ、「緊急事態」を宣言した。
政府の対応への批判と危機対応の初動のあり方
これまでの政府の一連の対応には大きく二通りの批判がなされてきた。一つは、中国からの入国制限や 「緊急事態宣言」について、対応が後手に回っているというもの。今一つは、小中高校の臨時休校や大規模イベントの中止等の要請の根拠を問うとともに、時期尚早ではないかというものであった。前者は、国内へのウイルスの侵入阻止、また、医療体制の崩壊阻止と感染爆発の防止の視点からなされたものであり、後者は、これらの処置による経済的な影響や、流通の滞留による国民生活の混乱を懸念した視点からなされたものであろう。いずれにしても、ウイルスについて未だに不明の点が多く、今後の情勢の推移が読めない現時点(四月上旬、以下同じ)で政府の一連の対応を評価することは尚早であろう。ここでは、今回の事案に見られる、「危機」への対応の際に考慮すべき点について考えてみたい。
先の二つのような批判は、危機に対処する場合、必ず生じるものである。これらの批判を受けながら、為政者は、適時に適切な決断を下さねばならない。危機管理の原則は、初動において、持てる力を最大限に発揮することであるが、これは言うほどに容易なことではない。その理由は次のようなものである。 第一に、危機の初動においては、概ね状況は不明なことが多い。今回の場合も、その初動において、新 型コロナウイルスがどのような感染症なのか、その伝染力と毒性はどのようなものか等について、武漢の状況に関する情報も錯綜していて、明確なことは判らない状況であった。
第二に、一方、入国制限等の人や物の移動を制限する措置は、経済面で大きな影響を及ぼす。実際に現時点で、すでに新型コロナウイルスは世界に拡がりを見せ、各国の対応措置を受けて、世界の株式市場で株価が急落しており、為替相場も乱高下している。将来の消費量を読めないため石油価格も急落している。中国における生産と交通が止まったため、サプライチェーンが寸断され、世界的に生産ラインも混乱している。ただでさえ、米中貿易戦争の中で、世界が内向きになっている情勢下、その影響は大きい。国内的にも、観光客の急減は、大きな痛手となっている。また、大型のイベントや集会の中止、学校の休校などが、それを生業としている人々にとっては勿論、日本経済全体にあたえる経済的影響も甚大であり、流通の停滞も、国民生活に影響する。これらのことは、「緊急事態宣言」がなされ、今や誰の目にも明らかである。しかし、状況がよく分からず、また、国民の間にも危機感が高まっていない初動の段階では、このようなリスクを受け入れる決心をすることは、特に難しい。
第三に、これらの処置は、個人の権利に制約を加えるものであり、「基本的人権」の保障について、相当の配慮が求められる。この点について、わが国は特に敏感のように感じる。
第四に、初動に大胆な施策を打つことは、一面、世界にわが国が危機に直面しているとの情報を発信することも意味する。それにより、他国からの入国制限等の対応や、経済的な影響の可能性も出てこよう。各国は、このような危機の中で、世界からどのように見られるかということを考えている。実際に、各国の動きには、情報戦、宣伝戦、外交戦という面をはっきりと見ることができる。
法的な枠組みによる限界
第五に、これらの困難を克服して、大胆な処置を取る必要があると政府が認識して、これを実行に移す場合の根拠となる法的な枠組みについてである。
国内においては、いわゆる感染症法(「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」以下、 「感染症法」という)、入国管理においては検疫法がある。これらの法律には、いわゆるパンデミックのような事態において必要となる「緊急事態」に関する規定はない。そのような規定を持つ、既存の「新型インフルエンザ等対策特別措置法(「特別措置法」)を適用して対応を取るか、或は、改めて立法する新法によって対応する必要がある。今回は、後者に近い、「特別措置法」の改正という手順を踏んだ。
しかし、今回の場合、脅威がどのようなものかはっきりしない初動の段階では、私権の制限や各種の規制を含むため、いずれの対応を取ることも難しかったであろう。後者の方法は、ウイルスの特性が判らず、今後の状況の推移が明確に読めない以上、私権の制限等の観点からの反対に対してこれを説得する充分な根拠を提示することは難しかったと思われる。前者についても、その初動で行うのは容易ではない。
「特別措置法」を準用したとしても、緊急事態の宣言のためには、次の要件を満たす必要がある。すなわち、国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与える恐れがあり、肺炎等、重篤である症例の発生頻度が感染症法にいう第五類感染症インフルエンザに比し相当程度に高い「新型インフルエンザ等」であること、また、「国内で発生し、その全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるものとして政令で定める要件に該当する事態が発生したと認めるとき」である。政令で定める要件は、二つある。患者等が感染し、あるいは感染したおそれのある経路が特定できない場合、そして、感染が拡大していると疑うに足りる正当な理由がある場合である。
危機の初動では、列挙したようなリスクを甘受した上、「緊急事態宣言」を行う必要性に関する法令の諸要件を客観的根拠をもって説明できるケースは稀だと考えるのが自然であろう。
行政府が危機に柔軟に対処出来る工夫
危機の初動において、その都度、既存の法律の準用を模索したり新法を立法するようでは、上述した多くの困難がある中で為政者が果断な処置を適時に取ることは難しい。また、今回の「緊急事態宣言」のように強制力の小さい抑制的なものであっても、その宣言は極めて慎重に行われた。
今後、今の法制度で対処できない事態が生起する可能性を踏まえ、感染症に限らず、あらゆる危機事態に適時適切に対応できるよう、緊急事態「基本法」のようなものを準備しておくべきであろう。その場合も、その適用の要件について法律で規定する程度は最小限に絞り、行政府が適時に最適の処置を取れる充分な余地を与えることが重要であろう。わが国では、従来、行政府の権力を制限することにばかり焦点が当たり、国家の防衛や国民の安全を守るために必要な強い権力を行政府に対し付与することにはあまり言及がなされていないように思える。両者のバランスについて真剣に検討すべき時ではないか。