『日本』令和3年3月号
デジタル教科書は漫画本並みで良いのか
宮地 忍 /元名古屋文理大学教授
この正月明け、小学一年生の孫に、学校からコンピューター端末の「iPad」が配られた。「一年生からすごいじゃないか」と喜ばせたが、教科書を電子化する「デジタル教科書」の使用が、小中高校で急速に進められつつあることを知った。情報化社会への対応の一環ではあるが、新型コロナウイルスの流行による休校体験や、菅義偉内閣による行政のデジタル化路線が拍車をかけている。だが、教科書を紙ではなく電子画面で読ませることが、子供たちの知力発達につながるのか。根本的な議論が欠けているようだ。
文科省が進める「GIGAスクール」の横文字構想文部科学省は平成三十一年(令和元年)四月、改正学校教育法により、小中高校の教育課程で「デジタル教科書」を使えるようにした。同年十二月には、「GIGAスクール構想」なるものを打ち出し、小中学生に一人一台の端末配布を令和五年度までに行うとした。「GIGAスクール」は、文科省のホームページなどでは説明抜きで使っているが、「ギガ」は、「Global and Innovation Gateway for All」の略だという。「スクール」は、まあ学校であろう。「全ての人に、全世界的にして革新的な入口を」「目指す学校の構想」といった意味であろう。 お役所文書での意味あいまいな横文字の乱用には、かつて批判が出た。必要最小限に止めるようになったものだが、再び乱用の勢いが増したようだ。新型コロナの感染流行でも、「パンデミック」「クラスター」「エビデンス」「ソーシャルディスタンス」「ポストコロナ」……などと横文字が乱発され、果ては、政府の重要施策「Go To トラベル」「Go To Eat」が登場した。
今年度末までに全児童生徒に端末を繰り上げ配布さて、その「GIGAスクール構想」では、当初、令和四年度までに小中学校では三学級につき一学級分の電子端末を整備、五年度には全児童生徒に一人一台の端末を配布することとしていた。ところが、新型コロナの流行と、菅内閣のデジタル化路線の登場で補正予算が組まれ、一人一台の端末配布が、この三月末までに繰り上げられた。筆者の孫への「iPad」配布も、その一環なのだろう。 「構想」に基づく「デジタル教科書」の使用基準は、文科省告示で「各教科の年間の授業時間の二分の一未満」とされていたが、端末配備の繰り上げに伴い、この基準も緩められる勢いにある。文科省は、昨年十二月の「デジタル教科書の今後の在り方等に関する検討会議」で、現行の使用基準の撤廃方針の了承を得た。今年一月二十七日の同検討会議に示した「中間まとめ案」では、「授業時間の二分の一未満」の基準に代わる次の五案が例示されている。
①全ての教科でデジタル教科書を主たる教材とする。②全て、または一部の教科で紙の教科書とデジタル教科書を併用する。③発達の段階や教科の特性に応じ、一部の学年、または教科でデジタル教科書を主たる教材とする。④学校設置者ごとに、紙の教科書かデジタル教科書かを選択できる。⑤全ての教科でデジタル教科書を主たる教材とし、必要に応じ、学校備え付けの紙の教科書を貸与する。
「検討会議」の有識者からは、「例えば国語の学習では、文字を書くという作業の繰り返しを通じて、感覚を身に付けさせることが必要。デジタル教科書でも文字の形や筆順は学習できるが、とめ、はね、はらい、筆圧や鉛筆の持ち方などは、紙と鉛筆で学ぶ必要がある」との疑問も出されている。
文科省の調査でも、昨年三月時点でデジタル教科書を利用しているのは、全国の公立小学校の七・七%、公立中学校の九・二%、公立高校の五・二%に止まっている。一方、教科書そのもののデジタル化は、小学校用では約九四%、中学校用でも約二五%に達しているという。令和三年度中には、小中学校用とも約九五%がデジタル化される見込みで、文科省は三月中に新たな使用基準の「中間まとめ」を行ってデジタル教科書の使用普及を図り、令和六年度からの本格的展開を目指している。
反射光で物を見ることで進化した人間の目と脳この問題は、新聞・テレビでもまだ大きくは扱われていないようだが、読売新聞が十二月と一月の検討会議に合わせて特集を組み、社説でも取り上げたのが注目できる。社説は、「紙との二者択一は誤っている」(二年十二月二十三日朝刊)、「紙と活字が人間形成の基本だ」(三年一月三十一日朝刊)とした。後者では、「長い歴史の中で、人は紙に字を書き、活字を読んで、人格を形成してきた」「教科書は紙を基本とし、デジタルは学習効果を高める補助教材にとどめるべきだ」と主張した。
その通りであろう。人類の文明は、文字・図版を記録する書写材として、粘土板、石版、甲骨、パピルス、羊皮紙などを生み出して来たが、最後に残ったのが「紙」だった。紙は、西暦一〇五年に後漢の蔡倫が発明したとされるが、前漢時代の紀元前一五〇年ごろの地図を描いた紙が、中国・甘粛省で出土している。これに対し、デジタル書籍は、米アップル社が「iPad」を発売した二〇一〇年(平成二十二)が「電子書籍元年」とも言われている。
媒体としての歴史は、二千百七十一年とわずか十一年だが、違いは歴史の長さばかりではない。人類を含む生物は、太陽光などの発光体そのものではなく、その反射光で物を見て進化して来た。反射光は散乱し、どの角度から見ても変化が少ないことから、書籍の置き方や読み手の姿勢にも自由度が高く、紙面と周囲の明るさも均等なため、目の虹彩を頻繁に調整する必要がない。デジタル書籍の場合は、端末が光を発する形式が多く、角度によって見え方が違うため、視線・焦点の画面固定が起きやすく、目や身体に疲れを生じる。
こうした人類と光の関係が、二千年の歴史に紙を選ばせて来たと言える。目に優しい紙の媒体で読むことが、理解力の強化につながることも各種の実験が示している。さらに、読みながら書き込みや線引きなどで手を適度に動かすと、脳に考えることを促す効果があるとされる。前述の文科省「中間まとめ案」でも、「児童生徒の目の健康への配慮」には触れているが、紙の教科書とデジタル教科書の理解力の違いは考えていない。反射光で見る電子端末の開発と利用は、さほど進んでいないだろう。
デジタル出版の主力はコミック・漫画本情報化社会にあって、その意義を児童生徒に教え、機器の使い方を学ばせることは必要だろう。デジタル教科書は、読み上げや図版の提供、情報の蓄積、共有化など、デジタルならではの利便性がある。これは、教科書の出版社が「電子書籍元年」の当時から主張していたことでもある。だが、それをもって「デジタル教科書」を学校教育の主軸とするわけには行かないだろう。
出版科学研究所などの調べによると、国内の書籍や雑誌の売上高は、平成二十二年の印刷版一兆八千七百四十八億円、電子版約六百五十億円が、令和二年には、それぞれ一兆二千二百三十七億円、三千九百三十一億円となっている。印刷版の衰退が続く一方、電子版は約六倍の伸びとなったが、その八七%の三千四百二十億円を、コミック・漫画本が占めているのが特徴である。コミック・漫画本は、文字の精読を必要としない。令和二年の場合、話題の「鬼滅の刃」が売上げ増加に寄与したという。