『日本』令和3年4月号

国家の存亡と国民の道徳心― 米国大統領選の混乱に関する一断想 ―

渡邊 毅 / 皇學館大学教授


揺らぐアメリカの精神的基盤

アメリカが今、国家的な危機を迎えている。

そう思わざるを得ないような〝事件〟が、昨年十二月、アメリカ大統領選をめぐって発生した。暴力革命を想起させる大規模であからさまな行動や主張が、それだ。一部報道によれば、その混乱の背景には、ディープ・ステート⑴、極左過激派のAア ンティファNTIFA やBLM(ブラック・ライブズ・マター)、中国共産党などの暗躍があるようだが、そうした勢力の介入を許してしまった大きな原因の一つに、米国民の精神的な変質や倫理道徳的な衰退があるのではないだろうか。

これまでのアメリカ精神を支えてきたのは、「市民宗教」( ロバート・ベラー) ともいうべきキリスト教的価値体系であった。これが、アメリカの倫理道徳を支える力となってきたと言えるだろう。アメリカ民主政治を論じた古典的名著を書いたトクヴィル(一八〇五~五九)も、それを維持向上させる第一の柱に「神の摂理」があることを見取っていた。アメリカ魂を生みだすものに、バイブリズム(biblism)があったのである。

しかし、こうしたアメリカ魂が変質衰退しつつある。かつて神への冒瀆とみなされた中絶が最高裁で合法化(一九七三年)されたりしたのは、その象徴的な出来事であっただろう。後にアラン・ブルームなどが、バイブリズムがアメリカ人の魂から消え、すっかり疲弊してしまったことを嘆き指摘するようになった(『アメリカン・マインドの終焉』)。そして、同性愛を許容するようになったアメリカ社会を目の当たりにして、「旧来の倫理観が完膚なきまでに叩きのめされた」とパトリック・J・ブキャナンが警鐘を鳴らしているのである(『病むアメリカ、滅びゆく西洋』)。

今では、毎週教会に通う一般市民を、リベラル・エリート層が小ばかにするような風潮が顕著になってきているようだ(ジェイソン・モーガン「NBA 騒動から見える…米国は中国に跪いた」『正論』令和二年一月号)。これは、アメリカの深刻な道徳的な危機だろう。


ローマ帝国の繁栄と衰亡の一因であった道徳心

アメリカは建国時、古代ローマを意識して設計されたという(ハンナ・アーレント『革命について』)。アメリカ建国の父たちはローマ帝国を再現しようとしたわけだが、その願い通りにアメリカは世界に覇権を振るうことができる大国にのし上がった。それができたのも国民が神に奉仕する禁欲的生活の中で懸命に働き、資本主義経済を発展させ国力を充実させていったからである。つまりキリスト教(プロテスタント)精神が、国家の活力と繁栄を支えたのだった。

大国アメリカの手本になったローマ市民もまた、「最初から宗教や道徳の点で独自の精神を有し、世界の他のいかなる民族よりもはるかに豊富に厳格な道徳観念をもっていた」(ランケ『世界史概観―近世史の諸時代―』)という。そして、「ローマの偉大は、美徳と幸運との稀有な、ほとんど信じがたいほど緊密な合致にもとづいて建設された」(ギボン『ローマ帝国衰亡史』)のだった。

なるほど初期のローマでは、禁欲を基本原理とするストア哲学が尊重され、その代表的思想家たちはみなストア派であった。「ローマ人は、この学派のおかげで何人かの最良の皇帝たちをもつことができ〔中略〕兵士たちに自尊心を与えた」(モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』)のであった。

しかし、次第に(一~二世紀後)人々の中に私利私欲を追求する精神が強まり、祖国愛が弱まっていった。軍人たちは贅沢によって惰弱になった。軍事的規律を失い、兵士は逃げることしか考えなくなり、蛮族の軍団に打ちのめされていった。

そして、皇帝をはじめとする一部支配階級の間では、不正・不当な儲けによって巨大財産が蓄積され、豪邸を豪華な美術品で飾り立て日々贅沢三昧にふけるという生活が広がっていく。不倫も横行した。子供の養育はかつて国家と神々への義務であったが、それは面倒な仕事になりさがり、子供は邪魔者扱いされ妊娠中絶が横行した。

ローマの平民たちもこうした支配階級の享楽を見て、「パンと公開劇場」を求めた。皇帝らは無数のパン焼き窯を国費で建設維持して、ほぼ無料のパンを彼らに供給し、華やかな公開劇場という娯楽を提供した。

コロセウムでは剣闘士同士が殺し合う、猛獣と闘うといったショーが繰り広げられた。セネカは生涯に一度これを見て、「尊厳のある人間が、ここでは遊戯と娯楽のために殺されている」と驚き呆れて書いている。

「退廃期の人々の活動を抑制する病気は、彼らの生得の能力の麻痺ではなくて、彼らの社会的遺産の崩壊であり、そのために損なわれていない彼らの能力を存分に発揮して、効果的かつ創造的な社会的活動を行なうことができない」(『歴史の研究』)ようにしていくとトインビー(一八八九~一九七五)は言う。まさにその言葉通り、美徳を喪失し「社会的遺産」を崩壊させたローマは「効果的かつ創造的な社会的活動を行うことができない」病気に罹り衰弱していったのではなかろうか。


先人たちが議論してきた国家と道徳心の関係

『呉子(ごし)』に「此(こ)の四徳〔道・義・礼・仁〕は、之(これ)を修むれば則 (すなわ)ち〔国家は〕興(おこ)り、之を廃すれば則ち衰(おとろ)ふ」とあるように、国家の繁栄・存続にとって、道徳心は欠かせない。

わが国では、北畠親房(一二九三~一三五四)が、「いまだ太平の世にかへらざるは、名行(めいこう)〔道徳上の分限〕のやぶれそめしによれることとぞみえたる」と『神皇正統記』に書き、名分にかなった行いが乱れて、朝廷の威光が衰微し武家政治を到来させたと指摘している。

この親房の洞察について、浅見絅斎(けいさい)(一六五二~一七一一)は「親房の論最後の一節、太平の世に復(かえ)らざるは、名行の壊れによれりに至りては、卓絶の見、至当の言、識者感ありと云ふ」(『忠孝類説』)と述べ、道徳の崩れによって国家社会の秩序平穏が回復されないと指摘した親房の論を卓越したものであると激賞している。

このように『正統記』は、絅斎の属する崎門(きもん)学派⑵をはじめとする先人たちによって江戸期を通じて脈々と考究され、道徳心と国家の盛衰が論じられてきた。このことは、その後わが国が明治維新を成し遂げ国威を発揚させてきた歴史を顧みるとき、何より幸いなことであったと考えられる。国家を支える道徳心について繰り返し想起し議論し合うことは、国家の維持発展に欠かせない学問的かつ教育的営為であるからだ。

徳義を失った利欲心がいとも容易(たやす)く亡国勢力に絡からめとられて利用され、民主体制の想像以上の脆弱さを露呈させたアメリカの姿を、私たちは目の当たりにした。これは決して〝対岸の火事〟ではないことを、帝国衰退期のローマ市民の姿や『正統記』の言葉を思い出し、自戒していかなければならないと思うのである。


⑴ユダヤ系左派の国際金融資本家勢力。

⑵山崎闇斎が首唱した朱子学の一派。その思想は明治維新に至る勤皇精神と志士の活動に多大なる影響を与えた。