9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和3年8月号

「終戦の日」に、わが国の防衛を考へる

 廣瀬 誠 /元自衛官


八月が廻り来て、今年も「終戦の日」を迎へる。政府主催の「全国戦没者追悼式」が執り行はれる。「今月の課題」は、わが国の防衛について考へてみたい。


不測の事態に備へると言ふこと

現代社会は、システムの大規模化が進み、高度に複雑化してゐる。また、科学技術の進歩も著しく、学問・技術の細分化・専門化が進んでゐる。このため、ITの発達にも拘はらず、国家や社会といふシステム全体の現状を正確に把握することはますます難しくなつてゐる。予測困難な時代に突入してゐると言つてよく、規模が大きく複合的な不測事態が生起すべき土壌が形成されてゐると言へよう。

不測の事態に備へるために、考慮しておくべきことがある。まづ、不測事態の性質である。それが、国家の存立や社会の秩序を危ふくするやうな重大なものについて、衆知を集めて漏れなく考慮しておかねばならない。それらの事態を仮に「重大事態」とすれば、次に、その重大事態に対して、対処する方法・手段をできるだけ多く保持できるやうに、すなはち、可能な限りの「余裕」を持てるやうにしておくことが肝要である。このやうな「余裕」は、すべての事態に対して保持することは難しいため、通常は重大事態に絞つて重点的に保持することにならう。この場合、事態の性格が国家・社会の存立に関はるといふ、その重大性にこそ注目すべきであり、敢へて言へば生起の蓋然性の高低は次等の問題である。たとへば、福島原発事故のやうに、その結果の重大性に鑑みれば、生起することを前提にして考へるべき事態といふものが存在することが理解できよう。原発の全電源喪失といふ事態を考へて、電源回復及び原子炉冷却のためには、あらゆる予備手段を準備しておかなければならない。このやうに、重大事態においては選択肢の保持や予備能力等の「余裕」が特に重要となる。いはゆる「起きてはならない事態」にこそしつかりと「余裕」のある備へが必要なのである。

国家の防衛は、そのやうな重大事態の最たるものである。


わが国防衛の姿を考へる

わが国防衛政策の基本とされてゐるのは、専守防衛の考へ方であり、この考へは積極的平和主義を掲げる現在の「国家安全保障戦略」においても、採られてゐる。わが国は、「憲法のもと、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従って」をり、専守防衛とは「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」とされる(「」内は、防衛白書)。白書等における「専守防衛」の説明の注目すべき点は、それが戦略環境等の評価からなされてゐるのでなく、「憲法の精神」に沿つて導き出されてゐること、そして、防衛力の行使といふ運用面のみならず、保持する防衛力まで「憲法の精神」から規定されてゐることである。

一般に軍事戦略を考へるにあたつては、考へられる脅威、戦略環境等の評価を行ひ、可能性のあるあらゆる事態を考察し、特に重大なものについては、対処のための充分な「余裕」、すなはち、予備手段等の選択肢を努めて多く保持する態勢を整へるといふ筋道を辿たど るべきものである。わが国の防衛を考へる際にも、わが国の独立と平和を脅かす脅威と、それにより生起する事態について、具体的に考察し可能なかぎりのシナリオを考へて、「余裕」を持つた防衛態勢を整へることが必要となる。

その上で、政治的な要求やわが国の経済力や技術力を踏まへた実際に採りうる態勢(たとへば「専守防衛」)と、白紙的に考へて最良の態勢とを比較し、はじめて実際に採用する戦略態勢の限界を明確に見極めることができる。かうして明らかになつた能力の限界が、いはゆる「想定外」とは異なる点は、それが戦略等策定に当つての「前提」ではなく、分析の「結果」といふことにある。その深刻な認識に基づき、必要な対策を準備することができる。


戦略策定における思考過程を再考すること

このやうに、防衛戦略の姿勢を考察するにあたつて、「憲法の精神」のやうな政治的な要求を考慮に入れるのは、上述の筋道を踏んだ後において、そのやうな要求を受けても防衛目的が達成できるかどうかといふ検証の段階においてなされるべきものである。「憲法の精神」から発する要求として「受動的な防衛戦略姿勢」といふ枠を最初から嵌はめると、わが方の対応能力の限界が不明瞭となり、本来なら分析の結果案出されるはずの他の優れた選択肢が考察の範囲から外れることになる。その結果、本来持つべき選択の幅と予備手段、すなはち「余裕」を失ふ。

この「余裕」についてさらに言へば、軍事的行動においては、予備計画の準備(プランB、C、D、E……と可能な限り準備される)、兵員や装備品の数とその能力・性能の余裕、後方支援力や指揮通信連絡手段の余裕等、軍事以外では一般に無駄とも考へられる態勢を整へることが必要かつ不可避である。自由意志を持つ敵に対する行動といふ特性から、計画の通り一筋に進むことはほぼあり得ず、幾多の予備計画が必要になる。戦ひにおいては、「余裕」、すなはち予備手段と選択肢を最後まで保持した側が勝つ。防衛力整備においても、コスト・パフォーマンス(費用対効果)を過度に追求すれば、「余裕」が失はれる。このやうな「余裕」は、「重大事態」に対処する組織にとつては致命的に重要である。運用上のいはゆるポジリスト(やつて良いことだけを示すリスト)も同じ視点から考へることができる。ポジリストは、その予想してゐる事態の様相が精確でなければ、うまく対応ができない。ところが、人智はポジリストが前提とする事態の推移をそれほど精確に描き出せはしない。やつてよいことだけを示すのは、対応の選択肢を狭め運用の「余裕」を奪ふことになる。だからこそ、予測が難しい軍事行動においてはネガリスト(やつてはいけないことだけを示すリスト)でなければならないのである。

戦後長きに亘つて、「専守防衛」はわが国の防衛の基本政策として変はらず保持されてきた。その間、世界情勢も大きく変化してゐる。戦略環境が大きく変はつても、「戦略の姿勢」が「憲法の精神」に基づき全く変化せず議論にも挙がらないことは、どう考へても不合理ではないだらうか。

わが国の平和と独立及び国民の生命と財産を守るための最適な防衛戦略を考察するために、軍事を忌避せず現実を直視して、考察の筋道・順序等から再考すべき時期に来てゐる。

終戦の日を迎へ、戦歿者を追悼し、わが国のために散華(さんげ)された英霊を慰霊・顕彰するといふ大切な節目である。わが国がその存立の危機を近代化により克服して世界に伍して行かうと決意した明治維新以来のわが国の来し方を、私ども国民の一人一人が自らのこととして思ひ出し受け止めて、わが国の行く末を考へる貴重な機会としたいものである。そして、現在のわが国の姿をそこから見つめ直して明日につなげる、地に足のついた堅実な態度が今ほど必要な時節はない。