『日本』平成31年2月号

何故、韓国は日本に対して敵対的な行動をとるのか

吉原恒雄/ 元拓殖大学教授


 

日本に対する韓国の敵対的な行動が、日増しに増えるとともに悪質化している。「従軍慰安婦問題」、「徴用工問題」に加え、文政権下における海軍駆逐艦による海上自衛隊のP-1哨戒機への火器管制装置の照射事件はその典型である。何故、韓国はこのような敵対国に対するような行動をとるのであろうか。

昨年十二月下旬に発生した韓国の駆逐艦による自衛隊のP-1哨戒機への火器管制装置(FCS)の照射事件を、岩屋防衛大臣は「武器使用に準じる行為」と説明している。FCSはミサイルや大砲を発射する際に、攻撃目標の距離、進行方向、速力、高度を瞬時に測定し、自動追尾(ロックオン)する射撃装置である。攻撃直前の行為ではなく、「ミサイル、大砲発射の第一段階」と言うべき行為である。「国際武力紛争法」では「武力行使」の一環と見なされ、自衛権を行使できる。従って、中露両国はむろん米国でも、このようなケースに直面したら直ちに駆逐艦に反撃、撃沈したであろう。砲弾やミサイルの飛来を確認していたら、撃墜、撃沈されてしまうからだ。

韓国の軍当局は当初、「FCSを作動させたのは事実だが、哨戒機を狙うつもりはなかった」とか、「FCS使用は遭難した北朝鮮船舶捜索のため」と説明していた。ところが、防衛省が、P-1撮影の映像を公表したため、弁解が虚偽だったことが明らかになってしまった。第一に、FCSは特定目標に電波を集中させるよう造られているので、捜索用には全く役立たない。第二に捜索対象の北朝鮮の船の周りには、救助作業を行っている海洋警察庁の警備船が映っており、捜索作業は終わっていた。

そこで一転、レーダーは使用していなかったと前言を翻さざるを得なくなった。このため開き直って、①韓国の駆逐艦が漂流中の遭難船舶に対し、人道主義的救助作戦を遂行していた、②そこに哨戒機が韓国駆逐艦の上空百五十メートル、距離五百メートルまで接近し、救助作戦を妨害する深刻な威嚇行為をした――と指摘し、日本に対し謝罪を要求。その証拠として、防衛省の公表映像を利用した映像を提示した。だが、ITジャーナリストの篠原修司氏が指摘しているように、この映像は自衛隊機が低空飛行したかのように加工を施していた。同氏はインターネット上で、その手口を克明に暴いている。


対日侮辱的行為の根源に日本の無原則的譲歩

何故、韓国政府は、このようにすぐにばれるような弁解を公然としたのであろうか。第一に、いずれの国家の指導者も、自己の政権基盤が揺るぎ始めると、対外的に事を構えて国民の目を外国に向ける傾向がある。当選当時、文大統領の支持率は非常に高かったが、その後、経済運営の不手際や、北朝鮮への対応で金朝鮮労働党委員長に翻弄されていることなどで、急激に支持率が低下し、不支持率が上回ってしまった。このため、国民の目を外に向ける必要があったと言える。

第二に、日本の従軍慰安婦問題への対応の拙劣さが、徴用工問題や今回の事件を招いた点もある。宮沢内閣の官房長官だった河野氏は、平成五年に「河野談話」を発表した。その中で、軍が朝鮮人慰安婦を慰安所で強制的に働かせたことを認めたうえで、韓国に謝罪した。だが、慰安婦らの主張を裏付ける証拠は見付からず、また占領下で米国が実施した慰安婦に関する調査でも強要した記載はなかった。この談話は一人歩きをして、欧米諸国で対日批判の材料になったのみならず、国連でも悪用されている。

驚くべきは、当時の日本政府は「談話」の原案を事前に韓国側に示し、同国の修正要求をほとんど全て組み入れたことが、後に関係者の談話で明らかになっている点だ。貧しい家庭の日本人と同様に朝鮮系日本人は、家計を助けるために給与の良い慰安所を選んだというのが実情である。

因みに、軍の慰安所は第一次世界大戦時に、戦場付近の女性を守るために設置されたのが始まりである。米国やソ連はこのような施設を設けず、兵隊の“自由恋愛”を建て前としたため、現実には戦場付近や占領地の女性が性的被害に遭っている。米国占領下で、米国が日本政府に命令した最初の要求は慰安婦施設の設置だった。

この談話を契機に「反日無罪」ということが韓国内で言われ出した。日本あるいは日本人に対して、どんな無謀、不法なことをしても良いというわけだ。また、「世界各国で不法・犯罪行為をして捕まれば、日本人と言え」といったことも公然と言われているようだ。

その点はともかく、我が国では対外交渉で、譲歩すれば丸く収まるとの考えが支配的である。例えば、国民党の蒋介石総統が南京を首都と定めて軍とともに乗り込んだ時、正規軍が英米両国と日本の公使館や在住三国民を襲撃したことがあった。米英両国は揚子江に配備していた砲艦で反撃した。だが、日本は「融和外交」が持論の幣原外務大臣の意向で、駐在武官や護衛兵の武装を解除した。この結果、蒋介石軍は無抵抗の日本公使館と在住日本人に対して略奪、乱暴狼藉を働いた。その結果、それ以後は弱腰とみられた日本が、英国に代わって排外運動の対象となってしまった。

徴用工訴訟で日本企業に賠償を命じた韓国最高裁判決も、日本の朝鮮に対する贖罪意識を利用したものだ。左翼陣営のみならず政府・自民党まで、「朝鮮は日本の植民地だった」との朝鮮人の主張を認めている。台湾は日本の植民地だったが、朝鮮は併合条約を踏まえて併合したのである。南北朝鮮の主張によれば、「日本に強要された併合なので無効であり、実際には植民地だった」という。強要された条約だから無効なら、一種の条約である「ポツダム宣言」も「米国から強要されたから無効」となる。しかし、こんなことを言えば、国際社会では嘲笑を浴びるだけだ。


福沢諭吉を悩ました朝鮮人の背信違約

第三に、朝鮮民族の「平気でウソをつく」という性向が背景に潜んでいる。すぐにばれる言い訳でごまかそうとした今回のケースも、その典型だ。「老子は朝鮮人であり、印刷機を始めとする現在の機器は全て朝鮮人の発明」「桜の木は、日本が朝鮮から盗んだもの」といった類たぐいのものだ。これを否定されると烈火のごとく怒り狂うが、これは決して昨今の朝鮮人の性向ではない。

鎖国を解いた日本にとって、当初から朝鮮半島は頭痛の種だった。日清、日露戦争も、朝鮮半島が原因だった。明治政府が最初に直面したのは朝鮮問題である。当時から、朝鮮人は平気でウソをつくのは有名だったようで、福沢諭吉氏が「脱亜論」を唱えた原因は朝鮮にあった。同氏は「(朝鮮人と)いかなる約束を結ぶとも、背信違約は彼等の持ち前にして、毫ごうも意に介することなし」、「(日本にとり)不幸なるは近隣国あり、一は支那と云い一を朝鮮という」と指摘している。

当時の日本にとって、「眠れる獅子」と言われた大国・清国との戦いは、国家の命運をかけたものだった。だが、その講和条約での要求の第一条は、歴代シナ大陸国家の属国だった朝鮮の独立を認めろというものだった。しかし、その後も、朝鮮国内での権力争いの際は、清国やロシアの介入を引き入れたので、日本は安全保障上、やむなく朝鮮を併合したのである。当時の朝鮮は植民地にする経済上の価値は皆無だった。

現在の我が国の政界には、保革を問わず朝鮮や中国にぶら下がっている輩やからがおり、今回の事件を「冷静対処すべき」との主張がすでに現れている。政界用語で「冷静対処」は、“無為無策”を意味する。無原則的な妥協は、次の攻撃的行動を招くことになる。