『日本』令和4年12月号
令和四年の内外情勢を顧みて
永江太郎 /(一財) 日本学協会理事
思へば、今年は内外共に多難な一年であつた。国外では二月にウクライナ事変が勃発し、国内では七月に安倍晋三元首相の暗殺といふ衝撃的なテロ事件が発生した。そして三年来のコロナ禍も終息の兆しを見せず共存の時代となつた。
現在の重大事件も、百年単位の長期的視点に立てば消え去るものが多からうが、新型の名が消えた武漢コロナはスペイン風邪とともに年表に記載されるであらう。安倍晋三暗殺事件もまた伊藤博文暗殺事件とともに歴史に残るであらう。我々は、改めてその重みを考へなければならないのではあるまいか。
それにしても、安倍元首相の国葬に対する反対運動とそれを過大に報道する左派マスコミは異常であつた。中でもデモ参加者に見られた日本の文化とは無縁な異邦人的な言動には、強い違和感を覚えた。日本人は縄文時代の大昔から氏族中心の社会、即ち村落共同体を大切にしてきた。それに溶け込めない人や村人と協調できない人は村八分にして排斥したが、それでも葬式と火事だけは別扱ひで村人が全員で協力・対応してゐた。国葬反対の運動家には、人の悲しみや苦痛に同情する優しさが欠けてゐる。デモの参加者には、反安倍の個人的感情があつたやうであるが、それを押さへるのが理性であり礼節であらう。昔からの義理人情の風習を忘れ、日本人の感性が欠落した人々を異邦人と称する所以である
同時に気になつたのは、国葬反対の人々が掲げる看板の副題に、安倍元首相が悲願とした憲法改正や安保法制への反対が表明されてゐたことである。彼らの年来の主張を見れば当然であらうが、彼らはロシア軍のウクライナ侵略の実態や破壊されたウクライナの惨状、ウクライナの人々の苦痛に何も感じないのであらうか。同じやうな悲劇が日本で起こらないやうにしなければとは考へないのであらうか。ウクライナ事変の原因はどこにあるのか、ウクライナ側にあるのか、軍事大国ロシア側にあるのか。ロシアに比べてあらゆる面で小国のウクライナの人々は、誰もロシアとの戦争を望んでゐなかつた、とは考へないのであらうか。国際情勢の深刻な側面に余りにも無知であり無関心である。
極東には我が国に切実な台湾問題がある。中国は台湾侵略を公言してゐるのである。十月十六日から開かれた第二十回共産党大会では、「祖国の完全統一は必ず実現する。決して武力行使放棄の約束は放棄しない」と明言してゐる。台湾の人々はどうすれば良いのか。我が国は中国の台湾侵略戦争を防ぐために、何をすれば良いのか、何ができるのか。台湾は極東アジアの平和の要石であり、我が国の安全保障の決め手である。
ウクライナ事変の問題点や今後の推移などについては即断できないが、少なくともプーチンの判断ミスは明らかであらう。今の人口一億四千万人のロシアには、ソ連邦時代にNATOを畏怖させてゐた大陸軍国の面影はない。それでも小国ウクライナの制圧には、満々たる自信を持つてゐたと思はれる。防衛白書によれば、ロシア陸海空軍の総兵力は約九十万人。そのうち陸軍は三十三万人。それから極東の東部軍管区などを除くと、ヨーロッパ正面は二十五万人程度であらう。ウクライナ侵略に際して、攻撃三倍の原則を質的・量的に満たしたとは思へない。ロシア軍は、西北から首都キーウ方面、北方は要衝ハルキウ正面、それにクリミヤの三方向から求心的に包囲攻撃をしたが、ウクライナ軍の思はざる反撃を受けてたちまち頓挫したことは周知のとほりである。攻撃失敗の原因は、これから逐次判明するであらうが、根本的にはプーチンの思ひ込みと判断ミスと思はれる。プーチンは現地指揮官に責任を転嫁して更迭したが、彼の言動には自分の失敗を隠蔽したいといふ意図が明々白々である。
同時に視点を変へれば、いくつかの基本的な問題点を指摘できる。第一は人的戦闘力である。これは物的戦闘力も同じで量と質の両面があるが、予備兵力の問題だけを見ても、ウクライナ陸軍は既に予備兵力を招集してNATO軍の下で訓練し、最新兵器の操作も習得してゐる。一方のロシア軍は予備役の招集を始めたばかりで、第一線に投入できるのはまだまだ先の事であらう。ロシア軍が今後とも戦ひを続けるためには、戦力の優越が不可欠であるが、人的戦闘力と物質的戦闘力の双方ともに、これまでの戦闘でかなり消耗し、戦力不足に陥つてゐることは明らかである。さらにクリミヤ大橋の爆発事件が与へたダメージも大きい筈で、その直後から起こつた報復と称するミサイル攻撃はその証(あかし)である。
このやうな状況の中で、ロシア軍に求められてゐる将軍は、プーチンに盲従して暴虐な行為を意に介しない猛将ではなく、戦略的視点で利害得失を冷静に判断して、プーチンに諫言できる智将であるが、果たして居るのであらうか。
ウクライナ事変最大の教訓は、勝利を確信した大国が一旦戦争を決意したら、小国には逃れる途はないといふ現実である。屈服をしない限り、小国に残された途は早期に開戦の予兆を察知して国際的連帯を深めるとともに戦争準備を進め、相手国の準備未完に乗じて先制攻撃する以外にないが、戦略的には大国に開戦の口実と正当性を与へる不利がある。そして大国はそれを狙つてゐる。日本海軍の真珠湾攻撃はその代表的な例であらう。
安倍晋三元首相の国葬は、在任期間だけではなく教育基本法の改正や安保法制の制定で集団的自衛権行使の道を開いたといふ功績への至当な評価であり当然の結果であらう。世界各国の元首クラスの弔問・参列はその証明である。しかし安倍晋三元首相でも根本的な改正はできなかつた。
それを妨げたのが占領憲法である。
現行憲法は、占領下の昭和二十一年に占領軍総司令部(GHQ)が作成して、日本政府に強要した代物で、その目的は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意して」の前文と第九条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」といふ条文にあるとほり、戦力を放棄した非武装国家とすることであつた。これが空理空論であり、根本的に誤りであることは、日本の主権回復時に米国とGHQが軍備を要求したことで明らかである。当時の吉田茂首相が拒否して憲法改正の機を失した事が今日の混迷を招いてゐる。
その後も改正できなかつたのは、第九六条に「改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、国民投票においてその過半数の賛成を必要とする」の条文があるからである。そのため憲法改正で真つ先に行ふべきはこの第九六条の改正であることを指摘したい。
しかも改憲は、ここ一、二年の間に断行しなければならないが、発議の後には国民投票が待つてゐる。旧統一教会の問題で、マスコミの執拗な攻撃に晒された岸田内閣には、十月の時点の世論調査では国民の過半数の信頼はない。自民党政権が国民の信頼を回復するには、旧統一教会といふ大きな棘(とげ)を抜く必要があり、それは宗教法人の取り消し以外にはないと覚悟して取り組むべきであらう。岸田首相に求めたいことは、岸田政権の継続といふ私益ではなく、憲法改正の公益を優先するといふ冷徹な判断である。