『日本』令和4年4月号
子供の学校不適応を解決する近道― 崩壊学級を再生したM先生の事例から ―
渡邊 毅 /皇學館大学教授
学校の諸活動は子供の規範意識・行動を育てるよい機会
全国で新型コロナウイルス・オミクロン変異株による感染が拡がり、新規感染者が過去最多を更新し続けている。これにより人とモノの移動が世界的に停滞し、学校でも卒業式や入学式、運動会、遠足などの諸行事が中止、縮小を余儀なくされたりしている。
学校の諸活動には、規範を遵守し全体との関係の中で自己を表現し、道徳性を発達させるような機能が備わっている。本来なら子供は、それを体験していく中で、規範意識を養い規範行動を発達させていくのだが、こうした状況の長期化は教科の学習面だけでなく道徳教育面への影響が懸念される。
子供の学校生活全般における成功は、その道徳性に支えられていることが多くの研究から明らかにされていることである。感染の拡大以前から、いじめをはじめとする子供の学校不適応問題には、深刻なものがあった。学校の諸活動の停滞がその問題にさらなる拍車をかけないためにも、子供たちの道徳性を培う方策を油断なく講じていくことが必要だろう。子供の学校不適応に対処して、それを解決していくためには、道徳性の涵養が遠回りのように見えて、実は最も確実な近道なのである。
崩壊学級を担当することになったM君
その実例を紹介しよう。大学在学中、私のゼミに所属して、卒業後、小学校教師になったM君がいる。そのM君から、数年前の三月のある日、電話がかかってきた。初任者として二年目を迎えたときだったが、深刻そうな声で、M君は、こう切り出した。
「先生、どうしよう。学級崩壊を起こしているクラスを、今度持たなくちゃならなくなりました。学校の中で、誰も持ちたがらない学級なんです」
先生たち全員が、担任拒否をするような学級を、新任二年目の先生に任せようとする。その学校の体制には呆れたが、色々話した後、私はこんな言葉を最後にM君に伝えた。
今、君は悩んでいるようだけど、その荒れた学級で過ごす子供たちは、君以上にもっと困ったり不安に思ったりしているんじゃないかな。だから、その子たちを救ってあげてよ」
後日、M君に聞いたところによると、この言葉を支えに頑張ってくれたようだった。
四月になり、M君はこれまで学んできたことを総動員して、学級経営に取り組んでいった。M君は在学中、非常によく勉強していた学生だった。読書はもちろん、私が紹介する学会、研究会、セミナー、学校ボランティア活動等、ほぼすべてに参加していたし、教員採用試験の一週間前にも泊まり込みで学会に来ていたので、私の方が心配したことがあった。ある教員研究団体の講演会に呼ばれて話をしていたら、そこにもM君の姿が見られた。それほどに、M君は学びや研究に対して熱意を持った学生だった。
半年間でクラスを再生
そのクラスは、聞きしに勝る学級だった。保護者参観日の授業でも、子供たちが立ち歩く。学級内での殴る蹴るは当たり前で、鉛筆で顔を刺された子もいた。授業が始まっても教室から飛び出して、他クラスの子供に殴りかかるなどいうことも日常的に起きていた。
ところが、半年後の参観授業で、保護者達は一変したM君のクラスを目の当たりにする。子供たちが全員着席して、授業を受けているのだ。中には、敬語で先生に話す我が子の姿を見て、「ウチの子が先生に敬語で話しかけている」と目をパチクリさせる親もいたそうだ。クラスの子供たちは、ガラリと変貌した。職員室にも「失礼します」と言って入り、全校中、最も礼儀正しい子供たちへと成長したのだ。学級満足度調査(QU)では、「満足型の学級」と診断されるようになった。しかも一年未満で。
そして、その年の三月末、M君のクラスの保護者たち数名が校長室にやって来た。保護者たちは、校長先生に嘆願した。「お願いです、校長先生。来年度もウチの子のクラスの担任に、M先生を受け持たせてください」と。まるで、ドラマのような本当の話である。
道徳教育を基盤にしたクラス経営で学級を立て直す
では、どうやってM先生(ここから先生と呼ぼう)は、学級を再生させたのだろうか。それは、一言で言えば、道徳教育を基盤とした学級経営にあったと言ってよいのではないか。
M先生は、学年当初、子供たちと話し合って学級のルール作りから始めた。名づけて「〇年生10の掟」。江戸時代、会津藩士の就学前子弟たちが暗唱させられていた生活規範「什の掟」に倣って作ったものだ。恐らくM先生は、会津の歴史なども話しながら、ルール作りをしていったのだろう。些細なことだが、こうした教養が子供に響いたりする。
そして、クラスの中でルールを守ったり道徳的によい行動をとったりした子供に、「道徳カード」を渡す。「道徳カード」には、「勇気」「努力」「勤労」など八つの徳目が記されていて、その徳目に見合った行動が見られたら、すぐにそこに〇をつけて渡し、子供を褒め励ましていく。道徳科でも、道徳カードと連動させて授業を行う。子供たち同士も、よい行動が見られたらポジティブカードというものに「○○さんへ ○○がよかったね」などと書いて、お互いに賞賛し合った。
このように、他者から肯定的な評価を受けると自己価値が高まる。そうすると、自分の所属するクラスがかけがえのないクラスであるように認識され、その中で円滑に生活していくための規範の必要性についても実感をもって理解し、それを内面化していけるようになっていく。また、教師と仲間による賞賛活動は、互いの規範に対する意識や考えを知り合うコミュニケーションの機会・場になっており、この認知が平穏でポジティブな感情が抱ける学級作りに貢献していることも考えられるのである。規範行動は、各個人の規範意識と共に、周囲の仲間がどの程度規範意識を持っているかを認知することによっても促進されるのである。こうして、規範やルールを自分自身のものとして内在化していくと、社会的に求められる活動を内発的・自律的に責任をもって行えるようになるのである。子供たちが書いたポジティブカードは、一学期中にクラスで四百五十枚たまり、二学期にはこれをお祝いして「お楽しみ会」が開けた。子供たちには、誇らしくも嬉しい一日となった。
人は他者から褒められたり報酬が得られたりすると、脳の線条体が活動し、腹側被蓋野(ふくそくひがいや)からのドーパミン分泌を促す。そして、それが側坐核(そくざかく)に入り脳全体に喜びを伝える。側坐核は、愛情を感じたときに激しく反応する領域でもあるので、子供たちのクラスへの愛着と所属意識を促したことだろう。ファリントン(Farrington, C.A.)の研究によれば、子供の努力に最も大きく貢献する四つの信念の一つに所属意識が挙げられている。所属意識に支えられた努力は、子供の学力向上に寄与していく。実際、M先生の子供たちは、学力を向上させ、テストでクラスの半数以上が、満点をとることができるようになったのである。こうして、クラス活動の中で、子供たちは道徳カードやポジティブカードを介して、先生と仲間とがコミュニケーションをとりながら規範を遵守する方向で価値づけ、それを行動化できる意識にまで高めて、安全で安心な学級へと変えていったのだろう。
後日談がある。この学級を二年間担当したM先生は、別の学校に異動した。担任が変わった学級でやんちゃな男子が少し崩れかけてきたとき、それを女子たちが一喝したという。「あんたら、M先生と作ってきたクラスのこと忘れたの 」と。M先生がいなくても、この子たちには、こんな自治能力も育っていたのだった。