『日本』令和4年7月号
「ウクライナ事変」の軍事的側面について
永江太郎 /(一財)日本学協会理事
さる二月二十四日、我々日本人や世界の人々が予期できなかつたロシア軍のウクライナ侵略が始まつた。ロシアの大統領プーチンは戦争に言及してゐたが、ロシア特有の瀬戸際外交であると思ひ込んでゐた。しかし、プーチンは本気だつたのだ。
この戦争状態を欧米では「ウクライナ危機(クライシス)」と呼んでゐるやうだが、本稿は「ウクライナ事変」とした。双方が戦争の拡大を自制してゐる現状では、満洲事変や支那(日支)事変と同じく「ウクライナ事変(インシデント)」と呼んだ方が良い。しかし、開戦から四ケ月となる六月になつても終息の気配を見せず、第三次世界大戦への拡大の様相すら呈してゐる。米国やNATОの自制で踏み止まつてゐるが予断は許さない。
それにしても大きな疑問が二つある。その第一は、ロシア国民の八割以上がプーチンのウクライナ侵略を支持してゐることである。そして第二は、欧州最強の陸軍を擁してゐると考へられてゐたロシア軍が、ウクライナ軍を相手に初期作戦に失敗、首都キエフ(キーウ)を攻略出来なかつたことである。
筆者は欧州戦史は専門外。情報は新聞・テレビ程度と限られる中で、この戦ひを論評することにはいささか躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ないが、敢へて江湖の批判を待ちたい。
まづ理解できないのは、いくら情報から遮断されフェイクニュースで洗脳されてゐるとしても、八割を超えるロシア人の熱烈なプーチン支持であること。しかし、ロシアとウクライナの歴史を繙(ひもと)けば、ロシア人特有の利己的な論理ではあるが納得できる部分がある。すなはち、帝政ロシアの時代から共産 党支配のソ連邦の時代まで、ウクライナはロシアと一体であつた。ロシア人も民族の違ひは理解して兄弟国と言つてゐたが、それは兄貴分のロシアが、優越感を持つてウクライナを虐待し忍従を強要してゐた時代であつた。それを当然としてゐたロシア人としては、ソ連邦の崩壊でウクライナが独立すると、直ちにロシアから離れてNATOの陣営に入ることなどは、国民感情が許さないのであらう。ロシア人の言動に、膺懲(ようちょう)の意識が見えるのはそのためである。
さらに地政学の観点に立てば、モスクワ南側の国境地帯にあるウクライナは、ロシアの安全保障にとつて決定的に重要である。ウクライナのNATO入りは、国境線がモルドバのドニエストル川の線から、ハリコフの線に後退する事を意味してゐる。国境の問題には過敏に反応するロシア人が、モスクワ防衛にとつて深刻な事態と受け止めたのは当然である。
これに欧米に対する劣等感や被害者意識などが重なつて、ウクライナへの侵略を当然とする国民感情が生まれたのであらう。これらを軽視したのがゼレンスキー大統領である。ロシアの要求は理不尽ではあるが、ロシア人が抱いた安全保障への重大な懸念には配慮すべきであつた。この様なロシア人の国民感情を利用したのがプーチンである。
ソ連共産党の情報機関・謀略機関であるKGB出身のプーチンの政治には、常に裏社会の闇が立ち込めてゐる。共産党が支配したソ連邦時代は、共産主義以外の思想や自由な発想を認めず収容所に送る暗黒社会であつた反面、東欧へ大きく勢力を拡大して米国との東西冷戦を演出し、ロシアが最も領土を拡大した時代であつた。社会主義経済の破綻によつて始まつたソ連邦の崩壊は、経済的生活の困窮といふ事態を招いたが、それを救済したのが豊富な資源を利用したプーチン政治であつた。ソ連邦の栄光と崩壊、その再建を自ら体験して、改めて自信を深めたプーチンの夢はソ連邦の再建であり、ウクライナ侵略はその第一歩であらう。プーチンの言動にウクライナへの侵略を躊躇する気配が全く見られないのは、そのためではあるまいか。
戦争状態になつた原因を考へれば、その責任は、第一義的にはこの様なプーチンの夢に帰すべきであらう。しかし、ゼレンスキーの責任もまた大きい。その理由は、国家のリーダーに求められてゐる第一の要件は先見洞察力であり、政策はその予見に基づく判断力と思ふからである。その意味で、まだ開戦から四ケ月ではあるが、ゼレンスキーは、プーチンの戦争決意を甘く見て、今日のウクライナの惨状を予測してゐなかつたのではあるまいか。ウクライナにおける人材の喪失と戦後復興の経済的負担は甚大なものとなる筈である。この現実が予測できれば、ゼレンスキーには譲歩する選択肢もあつたのだ。
例へば、プーチンの要求する中立化を受け入れて、ウクライナの永世中立を宣言するなどである。これは実質的にはロシアの勢力圏からの離脱を意味してゐる。現況では中立化も認めてゐる様ではあるが、開戦前に決断できなかつたのであらうか。
一方のプーチンは、その戦力格差からウクライナ攻略に絶対の自信を持つてゐたと思はれる。この絶対の自信が曲者(くせもの)であつて、これが油断となり敗北した戦例は多い。行進するロシア軍の戦車部隊や車両縦隊の映像からは、精鋭部隊といふ印象は受けない。中でも気になるのが指揮系統である。最高司令官は誰なのか。もしプーチンといふのであれば、軍事に素人のプーチンを補佐してゐるのは誰か。プーチンが核兵器の使用準備を国防相と参謀総長に命ずる様子を見ると、ロシア軍の参謀本部がその機能を十分発揮してゐる様には見えない。ウクライナ侵攻のロシア軍は、キエフ、ハリコフ(ハルキウ)、クリミヤの三方面から求心的に攻撃したが、各方面の軍司令官は誰なのか明らかでない。
少なくともこの規模の作戦になれば、三方面の部隊には当面の任務と攻撃目標が示され、軍司令官は隷下部隊にその戦力に応じた任務を付与し、各級部隊指揮官は戦況の推移に応じて臨機応変の処置をして任務を遂行する。しかし、第二次世界大戦当時のロシア軍(ソ連軍)最大の欠点は、全て上級部隊の指示待ちで状況の変化に応じた行動ができてゐないと指摘されてゐた。共産党独裁時代の特色かと思はれたが、第一線部隊の自由な判断と行動の抑制は今も変はつてゐないのであらうか。
今回のウクライナ侵攻作戦の経緯を概観すると、スケールは違ふがプーチンはヒットラーを意識してゐるやうに感じられる。昭和十五年五月十日に開始されたヒットラーの西方作戦は、三日後の十四日にはマジノ線を突破して一ケ月後の六月十四日にはパリを陥落させ、二十五日にはフランスが降伏した。今回のウクライナ攻撃との差は、ヒットラーとプーチンの違ひと軍隊の資質にあると思へる。
戦ひはいつかは終はらねばならない。ロシア軍によるウクライナ侵略の失敗を、プーチンもまた認めてゐるのではないか。であれば、NAТОとウクライナは、余りプーチンを追ひ詰めないで、名誉ある停戦の機会を与へて講和を実現する英知が求められてゐる。特に生粋(きっすい)のウクライナ人ではなく、政治には素人のゼレンスキーにも、従来のこだはりを捨ててクリミヤ等で譲歩する覚悟が必要であらう。
最後に「ウクライナ事変」を総括してみると、ウクライナの歴史的背景としてのロシアとの抜き差しならぬ因縁がまづ指摘できるが、これは国民感情のもつれであり、一朝一夕には解決できないであらう。しかし、安全保障に関はる地政学的な問題は、政策の問題であり、妥協の余地がある筈である。ウクライナが中立国となり、東欧に緩衝地帯ができることはNATОにとつても望ましいのではないか。