『日本』令和5年11月号
十一月号巻頭言 『終戦時の昭和天皇御製』 解説
今では想像もできないが、約八十年前の昭和二十年(一九四五)八月、我が国は大東亜戦争に敗れて滅亡の淵に立たされてゐた。ポツダム宣言を受諾して敵国の占領を受け入れるか、譲歩が得られるまで徹底抗戦するのか、我が国の存亡を決する重大な決断が求められ たのである。
最後の御前会議でも意見がまとまらない中、鈴木貫太郎首相は昭和天皇に御判断を仰いだ。昭和天皇は、改めて陸海軍統帥部長の意見を聴取された後、最後に受諾拒否の中心人物である陸軍大臣阿南惟幾大将の意見を求められた。国体護持に関する米国の回答に不信を抱く阿南陸相は、あくまで受諾反対を奏上したが、昭和天皇は阿南陸相に「阿南、心配するな。自分には (国体護持に)自信がある」と述べられ、その後の苛酷な占領政策と戦後の国際情勢の変化までも見通した御聖断が下されたのである。この御製にはその決意が込められてゐる。
国家の命運を決するやうな大事は、熟議を尽くした後に最高責任者が決定し、その後は全員が承詔必謹する。この建国以来培はれてきた伝統・慣習法とでもいふべき日本の常識が、敗戦といふ最大の国難から我が国を救つたのである。 (永江太郎)