『日本』令和5年正月号
世界に国家の理想像を示さん
仲田昭一 /水戸史学会理事
令和も五年目を迎へた。改元により、国民は相和し、世界は平安な明るい世になることを期待したが、内外共に激動が続いてゐる。新型コロナ感染症には、今後ともウイズコロナの生活を続ける覚悟を固めなければならない。そのやうな状況下において、抽選方式ではあるが皇居での新年の一般参賀が再開されることは大変喜ばしいことである。国民こぞつて皇室の弥栄(いやさか)と国家国民の安寧、世界の平和を切に願ひ、新年のスタートとしたい。
皇室を戴く喜びを憲法に謳はう
今年は是非とも憲法改正を前進させたい。「国会で衆参各議院の総議員の三分の二以上の賛成を経た後、国民投票によつて過半数の賛成を必要とする」との難問があつたが、昨年七月の参議院議員選挙において、自由民主党をはじめ改憲派が総議員の三分の二以上の議席を維持、改憲発議の条件は整つてゐる。この状況を基に、政府および改憲派議員は自信を持つて憲法改正に踏み出すことが期待された。
しかし、その覚悟と情熱に疑問が生じた。政府の足元が緩んでゐる。相変はらずの「政治と金」、「政治家の資質」の問題である。政治資金の収支報告書への疑念は絶えず、閣僚の軽率な発言が連発され、国民の政治への信頼を失つてゐる。各政治家の矜持はいかがであるのか。加へて、安倍晋三元首相の暗殺事件から明らかにされた旧統一教会の問題。信者の異常な献金や霊感商法は以前から問題になつてゐたが、政治家はこれまでなぜ徹底して糾弾し、改革に邁進してこなかつたのか。すべての政治家の怠慢ではないのか。
憲法改正の根本的課題は、日本の尊厳の源である皇室の存在への誇りと独立自尊を貫く国防の環境づくりである。今年は、明治維新から百五十五年を迎へた。維新の原点は、「王政復古の大号令」にあるやうに「諸事神武創業の始め」に基づいた大改革であつた。神武天皇の大理想は、国民生活の豊かさと安定を目指した「国利民福」であり、その理想を世界の国家・民族にまで及ぼさうとした「八紘一宇(はっこういちう)」の精神である。これは「侵略主義」との誤解を生んだが、決してそのやうなものではない。
この皇室の尊厳を仰いだ水戸義公は、「西山公むかしより御老後迄、毎年正月元旦に、御ひたたれを召れ、早朝に、京都の方を御拝し遊ばされ候」(『桃源遺事』)とあるやうに、毎年の始に当たつて尊王の誠を尽くされた。私ども国民は、元旦には国旗を掲揚し、神社に参り、あるいは遥拝して心の純化に努めなければならない。この誠を尽くすことが、自らの家の存立の基(もとい)となるのである。ここに思ひを致して、気風刷新の声を挙げなければならない。
ところが一部のマスコミは、皇室に関する興味本位の、あるいは誹謗中傷の記事を以て反皇室的雰囲気を煽つてゐる。皇室否定内在の意図が見える。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と日本国憲法に位置づけられてゐる皇室に対する姿勢ではあるまい。商業主義的行為に他ならない。君主制は、共和制とは異なり国家の安定をもたらす制度である。天皇陛下は、常に「民安かれ」「国平かなれ」と日々、祈りを捧げてをられるのである。この皇室の尊厳と日本の国家・国民、世界の安寧のためにも、日本国憲法に「天皇の神聖」を謳(うた)ふことを忘れてはならない。また、皇統の連綿を守るため「皇室典範の改定」も進めなければなるまい。
国防への決意は独立自尊の道
次に、国家の存立に関はる国防問題である。今後の世界情勢の推移を注視しながら、これへの対応を真剣に考へ実行に移す年にしなければならない。第二次世界大戦後の体制は永遠不変のものではなく、変転は常に繰り返へされるものでもある。戦後、アメリカ合衆国とソビエト連邦の対立を基軸とする二大勢力が対立してきたが、民族、宗教の対立も深刻である。紛争地域もあるが、国際連合の力もあつて何とか落ち着きを見せて来た。しかし、指導者の心の中に相手への疑心暗鬼があると領土の拡張欲や自己顕示欲が生まれ、自(おの)づと現状変更への強い欲求が芽生へて来る。ロシア大統領のプーチンによるウクライナ侵略が、それである。
大国ロシアは小国ウクライナを容易に力でねじ伏せることが出来るとの見通しで侵略に踏み切つたと思はれるが、ウクライナ国民の不撓不屈(ふとうふくつ)の愛国精神は、世界の予想を覆(くつがえ)し大いなる善戦を展開中である。これにより、国家を守る自衛力の根源が「自国の運命を己の任とする堅固な精神」であることを証明したことは大きい。
アジアにおいても戦雲は広がらうとしてゐる。北朝鮮は昨年九月以降、弾道ミサイルやICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射などを異例の頻度で繰り返し、核実験も示唆してゐる。国連安全保障理事会の決議への明らかな違反であると、世界各国は厳重に抗議するが意に介しない。北朝鮮は、米韓両国による軍事演習への対抗だといひ、米韓は、演習は北朝鮮の軍拡・核兵器製造への備へだといふ。どちらが先にしても軍事競争は止まない。中国の習近平国家主席は、台湾を併合する「一つの中国」説を絶対に譲らないが、日本としては安倍元首相が宣言したやうに「台湾の有事は日本の有事である」との信念を持たなければならない。ただ、少し気になる状況がある。台湾の独立を唱へる蔡英文総統の与党が、経済政策の低迷から、大陸との統一を主張する親中国の野党に昨年の統一地方選挙で大敗した。台湾市 民は、抑圧的全体主義の習近平政権を是と考へてゐるのであらうか。
さらに不安な要素は、世界の警察を否定した米国が、トランプ大統領の出現で米国一国主義をより優先し、しかも昨年十一月に行はれた中間選挙では民主党と共和党の勢力が拮抗 (きっこう)し、上院、下院のねぢれ現象が起きたことである。西側勢力の安定を図る必要がある今日、米国内の政策の分断や外交方針の変更は世界の安定にとつて危険な状況である。同時期に行はれたバイデン米大統領と習近平国家主席との初の対面首脳会談も、問題解決には程遠く平行線のままであつた。世界中が「対話」を尊重し、その重要性を叫ぶが、互ひの不信感の中では空念仏である。戦争の悲惨さを知りつつも、平和的解決へ向かはうとの姿勢を持たない限り「軍拡競争」の終焉(しゅうえん)は難しい。
現在、ウクライナを支援する西側勢力はウクライナへの武器の支援とロシアへの経済制裁を続けてゐる。ロシアでもイランや北朝鮮から軍用機などの供与を得てゐる。互ひに他国からの軍事支援を受けながら戦闘を展開する姿に違和感を覚えるが、まさに集団安全保障の時代である。日本も自由主義陣営の一員として防衛体制強化に努めるとともに、同陣営の同盟関係を強固なものにしていかねばならない。そのためには、防衛費増額も必要だが、世界の軍備拡張の行き着く先はどこであらうか。かつての米ソの対立、冷戦の終結は、ソ連がレーガン大統領の決意に敗れた結果であつた。
世界が混沌とする中、日本の理想として明治天皇の御製「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を思ふ。互ひの国家・民族の誇りを尊重しつつ、わが国の憲法に「すべての国民は国を護る責務を負ふ」との一条を加へ独立自尊へ「人心を一にすること」が必要である。我々の至願は、それの実現の一年としたいことである。