9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和5年2月号

「反撃能力」と日本の防衛

廣瀬 誠  /元自衛官


昨年十二月十六日に閣議決定された「国家安全保障戦略」など、いはゆる防衛三文書に先立ち、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の報告書が十一月に提出されてゐる。三文書を考へる上で興味深いものである。この報告書は、「1 防衛力の抜本的強化について」「2 縦割りを打破した総合的な防衛体制の強化について」「3 経済財政のあり方について」と大きく三部構成になつてゐる。厳しい安全保障情勢を踏まへ、縦割りを打破して、防衛力そのものの強化だけでなく総合的な防衛体制を強化するとともに、これを支へる経済財政のあり方を論じてゐる。簡潔にまとめられた報告書であり、何よりも反撃能力の必要性を訴へてゐる点が印象深い。そこで触れられてゐる「反撃能力」(「敵基地攻撃能力」)を通して、わが国において防衛を論ずる際考へておくべき点について述べる。

同報告書において、反撃能力に関する部分は次のやうに書かれてゐる。

「インド太平洋におけるパワーバランスが大きく変化し、周辺国等が核ミサイル能力を質・量の面で急速に増強し、特に変則軌道や極超音速のミサイルを配備しているなか、わが国の反撃能力の保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠である。なお、反撃能力の発動については、事柄の重大性にかんがみ、政治レベルの関与のあり方についての議論が必要である」。すなはち、反撃能力の必要性について、第一にわが国周辺の力の均衡、特に核ミサイル能力の増強による変化を、第二に技術の進歩により、その軌道が変化し速度が増し従来の迎撃システムでは対処が困難なミサイルが出現したこと。また反撃能力を発動するに当つては、政治の関与をどのやうにするかを検討すべきことを強調してゐる。


反撃能力の必要性

反撃能力を保持することについては、今までに長い議論があつた。古くは、昭和三十一年、鳩山一郎首相による国会答弁がある。これらによれば、反撃能力の保持は認められるとされてきた。しかしながら、その後長きに亘り、反撃能力を持つことは必要最小限とされる自衛の能力を超えるとして実現されることはなかつた。今や、報告書にも見られるとほり、これが広く議論されるまでに変化してきた。その主な理由は、報告書にいふ、周辺国の核ミサイル能力の急速な向上、特に変則軌道や極超音速のミサイルといふ新しい脅威の他、ウクライナ紛争でのミサイルによる民間のインフラに対する攻撃の生起、米国が中距離ミサイルを条約上保有できないために抑止の隙間を埋める必要、北朝鮮が米国本土に届く弾道ミサイルの技術を獲得しつつあることによる米国の拡大抑止への影響等があるであらう。

一般に、抑止には、拒否的抑止と報復的抑止があるといはれる。前者は、相手の攻撃を阻止する過程で相手に与へる損害の大きさによつてその攻撃意志を挫折させる考へ方、後者は相手の攻撃に対し、これを阻止するだけでなく、相手に対し反撃することにより与へる損害の大きさで相手の攻撃意志を挫(くじ)くものと考へてよいであらう。反撃能力を持つことにより、抑止の性格として従来の拒否的抑止に報復的抑止が加はる。反撃能力によつて、相手はミサイルを撃墜される損害に加へて、わが国から反撃される場合の損害を考慮しなければならない。これは、敵にとつてリスク計算が格段に難しくなり不確実性が増す。攻撃を思ひとどまる蓋然性は、拒否的抑止すなはち防空システムによる迎撃のみの場合に比し、 当然高くなるであらう。また、抑止は、対処の信頼性があつてはじめて有効になる点も注意すべきである。相手の攻撃に対し、断乎として対応する意志と能力を相手に確信させなければ、抑止の効果は期待できない。このことは、何れの抑止によるとしても同じである。


反撃能力保持へのためらひ

さて、軍事的合理性からは、このやうに反撃能力を持つことが抑止効果を高めるにも拘はらず、また、政府がそれを憲法上も可能であるとしてきたにも拘はらず、なぜ、今まで政策判断として手を附ける事が出来なかつたのであらうか。その理由は次のやうに考へられる。

一つは、相手を挑発し、軍事競争を招くといふ指摘である。しかし、実際には戦前の海軍軍縮条約、戦後のINF条約から中距離核全廃にいたる経緯、核軍縮の成果等に見られるやうに、相手に対抗し得る態勢を整へることができて、初めて軍縮が始るのである。また、わが国よりも周辺国の方がこれまで軍備拡充を続けてきてゐる実態も考へるべきであらう。

二つ目は、自衛のための「必要最小限」に抵触するといふものである。十年単位の期間を要する防衛力整備において、周辺国が軍備を増強する中で、その将来の軍備レベルを的確に予測して、これに対し合理的かつ具体的に最小限を設定すること自体極めて難しいことである。しかし、それ以上に、わが国の独立と国民の生命を守るため確実に勝利しなければならない自衛の戦ひにおいて、「必要最小限」の戦力しか準備しないのは、戦ひの帰趨(きすう)を自ら不明確にするものであらう。先の大戦では圧倒的な物量を誇る敵に第一線の部隊等が苦しんだが、その貴重な教訓とは、勝つために十分な戦力を準備すべきことではなかつたか。戦ひにおいて、確かな勝利のために必要な戦力を準備するのは政治の責務であらう。 防衛力の整備だけでなく、防衛力の行使(運用)に関しても「武力行使の三要件」により必要最小限の枠がかかつてゐるが、この点については後述する。

情勢の変化により反撃能力の必要性は既述のとほり高まつてゐる。現代のやうに軍事科学技術の進歩により、核兵器が出現し、また弾道ミサイルのやうな分単位で目標に到達する運搬手段が利用可能となり、かつその速度が非常に速くあるいは飛翔経路が変化して迎撃が困難な兵器が登場してくると、わが方に甚大な被害が予測されるやうになる。ウクライナ紛争における民間インフラに対するミサイル攻撃の被害等を踏まへれば、通常弾頭のミサイル攻撃を受けても相手基地に対して攻撃することについて自衛の範囲と考へるべきとの議論が出て来るのは当然といへよう。


防衛力の最小限の行使について

一般に防衛力の行使(運用)には、二つの段階があると考へられる。  一段目は、政治のレベルである。政治的な目標の達成すなはち、わが国の独立と平和、国民の生命と財産を守るため、達成すべき目標として、たとへば、何に対して、いつ、どれ程の力をもつて、どの程度の効果を期待するのか等を軍事機構に示すことが必要となるであらう。この際、戦争が違法とされる現代において、わが方の行動が自衛のためやむを得ない手段であると内外に明確にすることの意義は大きい。「政治レベルの関与のあり方」を報告書が指摘する所以であらう。注意すべきことは、そのために事態認定や防衛出動のための煩瑣(はんさ)な手続が求められ、ミサイル防衛のやうに分単位で事態が急進展する状況下で、政治レベルでの適時な判断と決断を行ふ仕組みを平時にいかに練り上げて構築しておくか が重要といふことである。すなはち、どうすれば実効的な対処のための政治的決断を適時に行ふことが可能となるかが大きな課題となる。

二段目は、軍事作戦レベルである。相手の力に対して最小限の力で対処する考へ方は、本来、国内での秩序破壊活動のやうな、限定された武装しかしてゐない国内の相手を想定してをり、「警察比例の原則」といはれる治安維持活動における考へ方である。ところが他国軍等を相手とする軍事作戦では、相手に対して、わが戦力を可能な限り集中し、相対戦力が最も大きくなるやうに運用するのが原則である。さうしないと、いはゆる逐次戦闘加入といふ過ちを犯し、結果として事態は長期化し、損耗の累積も大きくなるからである。防衛力の運用段階における「必要最小限」の議論においては、この点をしつかりと認識しておくことが重要であらう。この軍事作戦レベルにおける検討結果は、当然政治レベルにフィードバックがなされなければならない。


をはりに

わが国では、新しい防衛政策の枠組みができる際に、不思議なことだが、とかくその時点の現状を説明し肯定する形となりがちである。たとへば、日本国憲法の第九条も当時におけるわが国の現状をそのまま示したとも言へよう。また、最初の防衛計画の大綱は、昭和五十一年における戦力レベルと防衛予算規模を説明して規定したものと考へる事が出来る。わが国で新たに防衛政策を策定するにおいては、そのやうに現状をそのまま肯定し規定する傾向があることについて、我々国民も深く考へるべきであらう。

変はつていく現実に何とか今までの考へ方・理念を適用しようとすることは本末転倒であり、現実に対応できる新しい考へ方による新たな枠組みを構築するのが正道であらう。この点、今回の報告書の提言は、反撃能力の必要性に触れてをり、その意味で画期的ともいへる。所謂三文書は、わが国の戦略を体系的に整理してゐるが、その一番高位に位置づけられる「国家安全保障戦略」において反撃能力の必要性を明確に記述してをり、その点、従来の枠にとらはれないものとなつてゐる。また、他の二文書もこれを受け、スタンドオフ攻撃としてこれに言及してゐる。