『日本』令和5年5月号
初心忘るべからず ― かつて憲法改正は「再軍備」を意味した ―
慶野義雄 /平成国際大学名誉教授
安保三文書への違和感
昨年十二月、国家安全保障戦略、国家防衛政策、防衛力整備計画の「安保三文書」が閣議決定された。文書は、日本が戦後最も厳しい安全保障環境に直面しているとの認識のもとに、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を明記し、複数の長射程ミサイルを今年度から順次配備すること、今後五年間の防衛力整備経費を四十三兆円と定め、インフラ整備などの予算を含め、令和九年度までに防衛予算をGDP比二%に増額するとした。また、サイバー戦、ハイブリッド戦などに対応するため航空自衛隊に新たに専門部隊を設け、名称を航空宇宙自衛隊に改めることも盛り込まれた。ただ、反撃能力の行使は、必要最小限度の実力行使など武力行使の三要件を満たした場合に限られ、専守防衛は今後とも堅持すると付け加えた。
危機的安保環境の認識、長射程ミサイルの配備、防衛費倍増などに言及した点で、これらの文書は一定の評価ができるが、折角の反撃能力の保有については、専守防衛の堅持との言い訳け付きで論点がピンボケになっている。
岸田文雄首相は、閣議決定後の記者会見で、この決定は戦後の安全保障政策を歴史的に転換するものであるとして自画自賛しているが、同時に、「憲法の範囲内であり、非核三原則、専守防衛の堅持、平和国家の歩み……は今後とも変わらない」と批判への保険をかけており、言い訳け会見となってしまった。ここでも現憲法の第九条が日本の国防の根本を歪めている現実が露呈された。
防衛費の効率的運用が重要
日本が戦後最大の安全保障上の危機にあるという認識は、至極まともである。反撃能力の保有が必須であるというのもその通りである。だが、反撃能力の保有とか敵基地攻撃とか言うなら、専守防衛という言葉は降ろすべきである。GDP比二%の防衛費は、NATO諸国と比較して妥当な数字ではある。そもそも、専守防衛は圧倒的に実力差があり、横綱相撲が取れる場合にのみ可能なのである。野球の国際大会(WBC)で日本が勝てたのは走攻守の三拍子がそろったからである。安全保障で言えば、指揮・作戦、攻撃力、防御力の三拍子である。
国家の戦力として重要なものが財政力である。防衛予算の増額の原資について、保守派最右翼であるとされる旧安倍派の面々が赤字国債発行にこだわるのには呆あきれる。侵略などの非常事態に備えて健全な財政基盤を整えておくのは安全保障の基本であり、GDP比で先進国最大の借金を抱えているようでは、戦う前から負けているようなものである。GDP比でどの程度の防衛費が必要かと議論する以上に、国民の血税で賄われる防衛費がいかに効率よく使われるかが重要である。GDP比二%なら世界第三位の国防費になる。
この期に及んで、専守防衛などと、のん気なことを言っている場合ではないだろう。世界第三位の防衛費を支出しながら、実力は世界で二十位、三十位の「戦力でない実力」「軍隊のようで軍隊でない部隊」という状態に甘んじようとするなら、それこそ問題である。日本の安全保障の最大の障害になっている憲法第九条について異次元の改革が求められる。
講和条約発効当時の改憲論
日本国憲法はGHQによる押し付け憲法である。GHQは当初、日本側に憲法改正を示唆し、近衛内大臣ルートと松本国務大臣ルートで改正案作りが行われた。近衛内大臣が戦犯に指定されて自決したため、近衛ルートは消滅した。松本大臣による草案は、作業の途上、一試案が毎日新聞にリークされたため、GHQは松本案をボツとし、民政局内で草案を作ることを決めていた。そうとは知らず松本大臣は、最終案をGHQに提出した。その五日後、ホイットニー准将とケーディス大佐が外務大臣官邸を訪れ、松本案は受け入れられない旨を通告し、GHQが自ら作った草案を下げ渡した。その際、日本案にこだわるなら、天皇の身柄を守ることができないと脅迫した。そして、GHQ案に準拠して日本政府案として形を整えるよう指示した。多少の字句の調整は構わないが、基本原理と根本規範は変えぬようにとの条件付きである。松本大臣の役割は、政府案起草の責任者から、民政局の素人が即製したGHQ草案を、日本の法令の形式に整える事務屋のそれに変わったわけである。
講和条約の発効当時は、憲法改正の最大課題は「再軍備」であると認識されていた。当時の改憲論者は健全であった。昭和二十九年、『日本国自主憲法試案』の著者達は、日本国憲法の原案は総司令部の発意で、総司令部の手で、連合国の利益のために作られたものであるから、主権的国民の手で全面的に書き改められない限り、日本は自主独立の国とはいえないとした。彼らは、明確に、第九条第二項は、自衛戦争の否定を意味するものであって「削除すべし」と論じた。第一項についても少なくとも「戦争の放棄」という表題を付けることに反対している。第一項については、自衛戦争を否定したとする説と自衛戦争までは否定していないという説がある。因みに、筆者は一項も自衛権を否定する条文だと考える。なぜなら、「国権の発動たる戦争」は「war as a sovereign right」の訳であり、「主権としての戦争」は自衛戦争そのものだからである。もし一項を残すとすれば、GHQ草案の英文の方を改正しなければならないという妙なことになる。
王道を外れた自民党の改憲四項目
高田保馬博士は、国家は防衛の組織であると述べている。軍隊を保有してこそ国家は国家たりうる。憲法改正の第一義は、軍隊を持つ真の国家として日本を再生することである。
自民党は憲法改正のたたき台案として四項目を掲げている。その中、第九条に関しては偽装改憲、たちの悪い護憲論である。第九条の第一項、第二項を堅持したまま九条の二を加憲し、自衛隊の保持を明記するという。戦争の放棄と戦力の不保持という肝心な部分は固定化する。肝心なのは、「自衛隊」を「明記」することではなく、自衛隊が「軍備」であるか否か、「軍隊」であるか否かを明確にすることである。日本がまともな国家になるためには「自衛隊」を「明記」することではなく、最低限、自衛隊が「軍隊」であることを明確にする必要がある。「明記不明瞭」ではいけない。限られた防衛予算で最大のパフォーマンスを上げるには逃げ回っていたのではいけない。自民党の平成十七年改憲案では自衛軍を、平成二十四年の改憲草案では、国防軍を保持することを明言していた。何故、急激に後退したのか。公明党への配慮もあるかもしれない。自民党案の変節で誰が一番得をするのか、敵の身になって考える必要もある。旧統一教会が北朝鮮に多額の資金を提供しているというアメリカ国防省筋と言われる情報を信ずると、日本から主権を奪い取るという教義を持つ旧統一教会と四項目の提案者の深い関係が政策に影響したのではないかという疑念も払拭できない。