『日本』令和5年9月号
LGBT理解増進法を考える
髙橋史朗 /モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授 麗澤大学特別教授
「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(LGBT理解増進法)」が六月二十三日に施行され、学校教育で児童生徒にどのようにLGBTへの理解を深める教育がなされるかが、にわかに注目されている。
LGBT理解増進法の成立によって、各自治体の「性の多様性尊重条例」などとの整合性も問われることになろう。例えば埼玉県では「性の多様性リーフレット」(小学校五・六年生版、中高生版)といったものが作成され、「こころの性(性自認)」「からだの性(性別)」「好きになる性(性的指向)」「表現する性(性表現)」の四つのグラフ状のチャートが並び「性のあり方は虹色のようなグラデーション」といった説明がなされる。まるで性自認や性的指向が性別と同列か、性別を構成する一要素であるかのような説明がされているのだ。
「性のグラデーション」は、すでに教科書にも掲載されており、イギリスの教科書にも記載されているが、科学的根拠はまったくない。性別はあくまで男性と女性しかない。決して多様ではないのである。多様なのはジェンダーで、ジェンダーと性別との意図的な混同が、どれほどの混乱をもたらしているか。私たちはジェンダーの「多様性」にばかり目を奪われ、例外なく男女のどちらかに属するしかない形で連綿と続いてきた性別という「共通性」を忘れてしまっている。
LGBT理解増進法が施行されたのち、注意すべき動きが出てきた。それは世界各地で展開され、批判を浴びている「包括的性教育」について、日本の民間教育団体が盛んに学校教育に導入しようという動きを強めていることである。
「包括的性教育」の狙いは社会構造の解体
「包括的性教育」は、LGBTなど性的少数者に対する人権擁護の名のもとに、世界各地で導入されてしまっている。そして世界各国でさまざまな問題を引き起こしており、ドイツの社会学者、ガブリエル・クビー氏は著書『グローバル性革命 ―― 自由という名における自由の破壊』で「包括的性教育」について、これを推し進める動きを、新しいマルクス主義に基づくグローバル性革命と呼んで、批判している。クビー氏は包括的性教育の本質的狙いについて、性規範の解体にあると述べており、社会構造の解体や社会的な混乱を引き起こすことを狙った革命にほかならないというのだ。
この「包括的性教育」を日本に導入しようと唱えているのが民間教育団体「〝人間と性〟教育研究協議会」(性教協)である。現行の学習指導要領では、児童生徒に性交渉の具体的な内容について、教えてはならないと定めている。特に性教育を実施するにあたっては、①児童生徒の心身の発達段階を踏まえる、②保護者の理解を得る、③教職員の共通理解を図る、④全体的な指導と個別指導を使い分ける ―― とするよう定めてあって、一部の教職員らの独善的な教育が、持ち込まれないように歯止めが掛けられている。
これは日本の学校現場でかつて「包括的性教育」に似た動きで、児童生徒にコンドームを装着させる、人形を使って性行為の具体を教えるなどの「急進的性教育」が広がったことに起因する。この動きの背景にも性教協の活動が多くの影響を与えており、彼らが提唱する過激な教育実践がメンバー教員らによって各地の学校教育に持ち込まれ、波紋を広げたのである。男女の間の性差を否定する「ジェンダーフリー教育」も浸透し、男女の区別を排撃する動きが蔓延して、学校現場は混乱した。こうしたなかで文部科学省が平成十年、学校教育の性をめぐる暴走を食い止めるべく「歯止め規定」を策定したのである。この結果、性教協の取り組みは、学校教育で行うことが困難となって、下火になっていった。
浅井春夫氏は著書『包括的性教育』において、「政府・文科省が強引に進める道徳教育の目的と内容に真っ向から対抗するのが性教育」「道徳教育と性教育とは相容れない目的と内容がある」などと述べている。道徳教育を全面否定するカリキュラムが、学校教育に導入されることなどあり得ない。
だが、問題はかつての過激な性教育の暴走から時間が経ち、自民党や文部科学省にも当時を知る人材が少なくなって、警戒感も乏しくなっていることだ。さらに歯止め規定はあっても、市区町村の教育委員会になると、事情が違ってくる。特に地方自治体ではLGBTの権利擁護について、国よりも踏み込んだ条例が制定されている。さまざまな取り組みに、首長が熱心なケースも少なくない。こうした間隙を縫って「包括的性教育」の問題点に対する警戒感の乏しいままに、教育現場に持ち込まれる可能性は否定できない。
「包括的性教育」のもたらしたもの
「包括的性教育」が学校に何をもたらしたか。世界中の事例をしっかり見ておく必要はあるだろう。米国での「包括的性教育」の導入が性教育をめぐる「親」対「学校」の激しい対立となっている。
激しい性教育への反対運動が繰り広げられた末に、多くの州では性教育の授業に関して親に通知するよう義務付ける措置がとられた。同性愛者に関する教育に親の理解が得られず、激しい対立を招いた学校も報告されている。
イギリスも「包括的性教育」が導入された結果、深刻な問題を引き起こした国のひとつだ。今年三月八日、スナク首相が学校における性教育について、緊急に見直す方針を表明したばかりだ。英紙「デイリー・テレグラフ」が学校における性教育の実情を報じ、十三歳の子供に『性別は百ある』と教え、性戯を具体的に取り上げて十二歳の子供に教えているなどと告発し、それが大きな波紋を呼んだからだ。
三月三十日、保守系のシンクタンク「政策転換」もイギリスの中学校における性教育について報告書を公表した。三三%もの中学校が、「子供が性的苦痛を打ち明けた場合、保護者や医療従事者に報告する」とは回答しなかった。また、中学校の二八%が男女別トイレを、一九%が男女別更衣室を「維持していない」と回答していた。
こうした教育が展開されれば、自分の性別を疑い始める生徒や、性別違和を思い込む生徒が続出するのも無理はない。前述のクビー氏が著書で明らかにしたところでは、自分の性自認に疑問を持って、国営のジェンダークリニックに行って、性転換手術をする十八歳以下の子供が、二〇〇九年の七十七人から十年後には二千五百九十人に増えた。疫学的には起こりえない規模の急増ぶりに、英国政府はこのジェンダークリニックの閉鎖を決め、ホルモン治療や外科手術等を中止する方針を打ち出した。だが、自分の性別を嫌悪し、すでに乳房の切除手術に及んだが、後悔する女子や思春期の成長を薬物で抑制した結果、取り返しのつかない結果を招いた生徒が続出する悲劇が起きているのだ。
LGBT教育における親の関与の必要性
こうした海外の事例を見ていると、日本のLGBT教育で注意しなければならないことは、教育の中身をしっかりと監視することと、親の同意や協力、コミットが欠かせないということだ。海外の学校で、子供が生まれた性別とは異なる性自認を口にし始めたケース、男子生徒が女性用トイレを使うよう促されたケース、男子生徒だったのに女性として扱われるようになったケースなどを見ていると、学校や教師、カウンセラーなどの判断が親には伝えられず、親の知らないところで判断されて、後で発覚して事態をこじらせていることが目立つからである。
だが、LGBT理解増進法案を審議した六月十五日の参議院内閣委員会に参考人として出席したLGBT法連合会の神谷悠一弁護士は、次のように述べている。
「法案第六条の、教育を行う上で家庭に協力してもらって進めるというのは、性的マイノリティーが置かれている厳しい実態を踏まえないものではないか、というふうに考えます…他の問題と異なり、親に頼れず、親こそが最も理解を得るのが難しいというのが、統計的にも特徴として表れているにもかかわらず、家庭に協力してもらって教育を進めるというのは大変ナンセンスな発想ではないか」
LGBT法連合会に限らない。多くのLGBT関係の人権団体の認識はこうしたもので、教育活動における親の関与を拒絶している。拒絶というよりも敵視に近い場合すらある。この発言はLGBT理解増進法の当初の与党案が「家庭の協力を得る」と修正されたことに強い難色を示したもので、「実態を踏まえない」「ナンセンス」とまで酷評している。最初から親の協力などはむしろ有害で、家庭の協力は「介入」だと捉えているのだ。
しかし、親には親権があり、養育権がある。親の預かり知らないところで、子供の性自認をもてあそぶようなことが学校教育の名で行われてはならない。
今後検討されるLGBT理解増進法の「基本計画」や「指針(ガイドライン)」で、生物学的性差という「有性生殖の五億年」の共通性という縦軸と、後からつくられた文化的・社会的性差である「ジェンダー」の多様性という横軸を明確に区別するLGBTの「正しい理解」について、わかりやすく説明し、子供の「性と生殖を決める権利」に関する見解を明記しない限り、混乱が全国に広がることは火を見るより明らかだ。