『日本』令和6年10月号
中学校社会科「公民」教科書の憲法記述に思ふ
橋本秀雄 /日本教師会事務局長
三社の教科書を読み比べる
本年、憲法改正が話題となつたことで、中学校で憲法の指導がどのやうになされてゐるか気になり、教科書を調べてみた。ちやうど来年度採択の教科書展示会があり、多くの教科書を見ることができた。
中学校の公民教科書は、六社が検定に合格してゐる。そのうち全国で最も採択率の高い東京書籍(東書)と、編集方針が異なる育鵬社及び自由社とを読み比べたのである。
教科書により大きく違ふ「人権」の扱ひ
東書は第2章「個人の尊重と日本国憲法」で、(読み物の頁を除く)二十八頁を使つて憲法の説明をしてゐる。内容は1節「人権と日本国憲法」、2節「人権と共生社会」、3節「これからの人権保障」である。1節は1「人権の歴史と憲法」、2「日本国憲法とは」、3「国民主義と私たちの責任」、4「平和主義の意義と日本の役割」、5「基本的人権と個人の尊厳」の五項で構成され、2節は1「平等権①共生社会を目指して」、2「平等権②共生社会を目指して」、3「自由権 自由に生きる権利」、4「社会権 豊かに生きる権利」、5「人権を確実に保障するための権利」、6「公共の福祉と国民の義務」の六項。3節は、1「新しい人権①産業や科学技術の発展と人間」、2「新しい人権②情報化の進展と人権」、3「グローバル社会と人権」の三項で、合計十四項が設けられてゐる。そのうち「人権」を説く項が十項で七十一%を占めてゐる。ちなみに育鵬社と自由社の同様の割合は、それぞれ五十一%と二十九%であつた。
東書は1節の1「人権の歴史と憲法」で、人権を定義して、「人権とは、人間が生まれながらにして持っている権利のことです。人間は一人一人がかけがえのない個人として尊重され、平等にあつかわれ、自分の意思で自由に生きることができなければなりません。それを権利として保障したのが人権(基本的人権)です」としてゐる。続いて、それがどのやうに憲法の柱となつたのかを説明してゐる。
始まりは、「17世紀から18世紀にかけての近代革命」で、「人権の考え方(人権思想)が、身分制度の下での国王の支配をたおすうえで大きな力になり(中略)アメリカ独立宣言やフランス人権宣言などでは、全ての人間は生まれながらにして人権を持つことが宣言されました」としてゐる。
そこで保障されたのは、表現の自由などの自由権と、身分制度を否定する平等権であつたが、19世紀に入ると、「資本主義経済が発展し(中略)労働者は低い賃金での長時間労働を強いられ、社会に貧富の差が広がり」、それを打開するため「普通選挙運動や労働運動」が起きた。20 世紀に入ると、「人間らしい豊かな生活を保障しようとする社会権」が認められるやうになつた。そして、第二次世界大戦後には、「人権は各国で広く保障」されるやうになり、さらに、「国際連合の世界人権宣言などで国際的にも保障」されて、「世界共通の考え方」になつた。かうした「人権」を保障するには、法の役割が重要で、権力を持つ者が都合のよい政治を行へないやうに憲法で規制していつたとする。
日本国憲法の成立
東書の教科書は、まづ、「大日本帝国憲法」を取り上げ、「この憲法は、国の政治の決定権(主権)は天皇が持つという天皇主権の考えに基づいており、国民は天皇があたえる『臣民ノ権利』を持つ」としてゐる。そこでは大日本帝国憲法の価値を評価せず、むしろ否定的に叙述をしてゐる。
戦後の憲法改定にあたつては、「日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は民主化を求めました」とGHQの対応をソフトに表現。さらに、「政府が初めに作った憲法の改正案は天皇主権を維持する内容だったため、GHQは変革が不十分であるとして自ら草案を作成し、政府はそれを基に改正案を作り直しました」と、GHQが占領目的に沿つた内容の草案を一週間で作り、押しつけたことには触れてゐない。そして、日本が主体的に改正したかのやうな書きぶりなのである。その点、育鵬社は、「この憲法(大日本帝国憲法)は、アジアで初めての本格的な近代憲法として内外ともに高く評価されました」と述べ、日本の伝統文化と西洋の政治制度を結びつけ、日本は万世一系の天皇が統治する立憲君主国であることを丁寧に説明してゐる。また日本国憲法の制定過程も、「大日本帝国憲法下の政治体制が戦争の主な原因と考え、日本の民主主義的傾向を復活強化して、連合国にふたたび脅威をあたえないようにするため徹底した占領政策を行いました」と、GHQの意図を明確にしてゐる。その上、GHQは自ら作つた草案を、政府に受け入れるように強制した事実も記述してゐる。
自由社は、さらに当時の社会状況まで補足してゐる。GHQは、国会議員が戦争遂行に協力したとして八十二%を追放してをり、審議中にも追放を続けてゐた。また当時、GHQは信書の検閲や、新聞・雑誌の事前検閲を行つてをり、自由な報道や言論が行はれない情勢下での国会審議であつたとしてゐる。
憲法第1章「天皇」条項の扱ひ
東書は3「国民主権と私たちの責任」の中で、「『象徴』としての天皇」を十行程度で説明してゐる。いはく、「国民主権をとった日本国憲法の下で、天皇は日本の国と国民全体の『象徴』となり、その地位は主権者である国民全体の意思に基づくと定められました(第一条)」と。そして、天皇は政治についての権能がなく、決められた国事行為のみ行ふといつた役割を簡単に述べてゐる。
その点、育鵬社は東書の四、五倍の行数をとつて説明をしてゐる。まづ、「国民主権」について、「権利や自由には必ず義務と責任がともなうとの認識が必要」と注意を促してゐる。「象徴としての天皇」は、東書のやうな役割の規定だけでなく、欄外の読み物「日本の歴史・文化と天皇」を設けて、天皇が日本の国の成り立ちや歴史に深く関はり、日本人の精神的な支柱として、国民が一致して国家的な危機を乗り越えてきたことなど、例をあげて天皇への理解を深める配慮をしてゐる。
そして、「天皇は直接政治にかかわらず、中立・公平・無私な立場にあることで日本国を代表し、古くから続く日本の伝統的な姿を体現したり、国民の統合を強めたりする存在となっており、現代の立憲君主制のモデルの一つとなっている」と、天皇の本質に沿つた説明をしてゐる。
自由社が目覚ましいのは、憲法の重要な役割である「国家像(=国体)」を第1節「日本国憲法の国家像」で解説してゐることである。その22「天皇の役割と国民主権」で、「歴史に基づく天皇の役割」を取り上げ、「天皇は、国家の平穏と国民の幸福を祈ることにより、長い歴史を通じて国民の信頼と敬愛を集めてきました」とする。そして、日本国憲法の第一章に「天皇」を規定したのも、「日本の長い歴史のなかでの天皇の存在や、果たしてきた役割から考えて日本国と日本国民統合の象徴に相応しいと考えられたからである」としてゐる。
まとめとして、「君主の統治権の運用を憲法で規定することで、国民の自由および国政への参加を保障した『立憲民主制』は、世界40か国あまりで採用されています。公正中立な態度を貫いている象徴天皇制は、現代の立憲君主政が目標とするモデルの一つとなっています」と国家像を示してゐる。
日本国憲法の平和主義
東書は第1節「人権と日本国憲法」の4「平和主義の意義と日本の役割」で、憲法九条、日米安全保障条約、自衛隊について説明をしてゐるが、そこにも事実を歪めた部分がある。
まづ、「日本は、太平洋戦争で多くの国々、なかでもアジア諸国の人々に対して多大な損害をあたえ、日本の国民も大きな被害を受けました。そこで、日本国憲法は、戦争を放棄して世界の平和のために努力するという平和主義をかかげました(第9条)」として、日本が先の大戦を自ら反省して平和主義をかかげたとしてゐる。しかし、実際は日本が米国にとつて二度と脅威にならない国にするといふ占領目的のため、軍隊を持たせず、交戦権も持たない保護国のやうな状態にしたのである。
人権に関しては、社会情勢に対応する「新しい人権」を詳述してゐるが、最近の安全保障上の危機的状況には触れてゐない。むしろ日米安全保障条約により沖縄などで基地問題が生じてゐることや、近年、集団的自衛権を行使できるとしたことへの疑問をにじませてゐる。そして、被爆国であり憲法に平和主義をかかげる日本は、核兵器の廃絶など世界平和に貢献していくことが求められるとしてゐる。
その点、育鵬社は第1節「日本国憲法の基本原則」の6「平和主義」で、憲法九条の制定の理由を、「連合国軍は日本に非武装化を強く求め、その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。」と実情に沿つてゐる。自衛隊の誕生についても、大戦後の東西冷戦状況、朝鮮戦争の勃発などで、日本に駐留してゐた米軍を韓国に向けざるを得なくなり、連合軍総司令官マッカーサーがその空白を埋めるために警察予備隊の設置を日本に命じ、それが自衛隊に発展したことを説明してゐる。
さらに、7「平和主義と防衛」で、日米安全保障条約の中身や、近年の安全上の問題点を指摘しながら、自衛隊が多国籍軍の一員として海外に派遣されたこと、有事法制の整備が進み、武力攻撃事態対処法や集団的自衛権の限定的容認などが決定された事情も説明してゐる。
自由社は第1節の28「平和主義と安全保障」で、自衛権と平和主義の関係と自衛隊の存在意義を育鵬社と同様に説明してゐる。そして、読み物「我が国の安全保障の課題」で現実の問題に踏み込んでゐる。政府見解は、憲法第九条第一項で侵略戦争を禁止しているが、自衛のための戦争は禁止してゐない。そして、第二項で戦力の保持を禁止してゐるが、自衛隊は戦力に至らない必要最小限度の実力に過ぎず、自衛隊は合憲であるとしてゐる。しかし、これでは自衛隊は法制上で軍隊ではないため、非常時になつても警察力の働きしかできず、国の主権を守ることが十分にできないと指摘してゐる。
偏つた教科書にどう対処するか
東書は憲法制定の過程を問題とせず、むしろ普遍的な価値である人権を保障する憲法だと絶対視する。しかし、過度な人権思想は、国民が公より私を優先する権利意識を持ち、利己的な生き方に陥つていく。それでは国民の独立心が育たず、今のやうな保護国の状況から脱却できないだらう。
その点、育鵬社と自由社は日本国憲法を客観的に把握でき、あるべき日本の国家像も理解することができる。将来、我が国に相応しい憲法を得て、世界に貢献できる国家を再興する道も開けよう。
今後、台湾有事、東南海大震災、北朝鮮の軍事挑発と、国家の存亡に関はる事態が起きるかも知れない。危機に対する備へで最も重要なのは国民の意識である。国民が専ら個人の生活の安楽を求め、安全は他人(他国)任せにするやうな独立心のない国には、未来がないのではないか。
私共に当面できる対策は、(1)教科書採択で良書を選択する、(2)教科書記述の内容を規定する学習指導要領の改定を求める、(3)問題の教科書を扱う場合の補充資料を工夫することと考えるが、根本的には憲法の改定を待つしかない。粘り強い国民運動を展開していかなければならない。