『日本』令和6年11月号
「逆説的少子高齢化社会」 歴史体験からの学び
髙橋久志 /上智大学名誉教授
岸田前首相は、「日本は社会として機能し続けることが出来るかどうかの瀬戸際に立っている。二〇三〇年代までが少子化対策のラストチャンス」だとして、二〇六〇年の総人口を八千六百万人と試算、去年最大の警鐘を鳴らした。
去年の出生数は七十五万八千六百三十一人、前年より五・一%減、出生率は一・二。総人口は十四年連続減少。自然減は八十五万人、佐賀県の人口以上が減った。現人口の維持には、二・一の出生率が必要。その上、六十五歳以上の高齢者が三人に一人、八十歳代は一割を超えた。
少子高齢化社会への対応を阻む主要因
ところで、我が国の政治家や専門家が掲げている少子高齢化対策は経済支援が中心で、若者の結婚と出産の奨励、子供の養育費や教育費の支援、高齢者の社会保障費・医療費・介護費支援等、膨大な出費を要する。
我が国はバブル崩壊後、限りなくゼロに近い低金利政策の中、「失われた30年」と言われる物価高と景気低迷の時代を続け、阪神・淡路大震災、東日本大震災、コロナ危機、そして能登半島地震や異常気象による様々な自然災害も頻発。更に、反民主主義独裁体制が世界の七割となり、ウクライナ戦争、露・北鮮・中の同盟化、国際法を無視した中国の一連の行動、並びに台湾周辺の緊迫化の結果、岸田内閣は五年間で防衛費倍増を閣議決定したものの、賄い方法は合意すら成立していない。他方、経済安全保障面では先進国で最低であり、三八%の食料自給率に加え、毎年悪化の一路を辿り対GNP比二〇〇%にも上る千二百九十七兆円の債務残高。しかも、得意のハイテク分野を始め国際競争力の低下が指摘され、レアメタル等貴重資源確保と供給の問題が生じ、福島第一原発事故以来、原子力に頼らないエネルギー問題が急浮上。化石燃料に八割以上を依存している我が国は、如何にして脱炭素社会を構築するのか。
発想の転換
かくして緊急に解決せざるを得ない深刻な問題が次々に現れ、法外な資金が必要なのは明らか。従来の対応策や発想では、限界が目に見えている。
「ヨーロッパの低出生数は文明の自殺を生じつつある」と警告したハンガリーのオルバン首相は、過去十四年間GDPの五%以上を充てる新制度を実施し、効果は明らかでないが(The Japan News, 9/23/24,原載London Times)、アメリカのジャレド・ダイヤモンド教授は、経済刺激策はこれまでどこも成功していない、と断ずる。
確かに人口の減少は、投資家・技術革新・税収の減少、軍事費削減、消費者市場の縮小、社会保障費の急増を齎すであろう。しかし、最も重要なのは「国民の質・培ってきた能力・社会への貢献度」である。わけても、現代世界は人口が多過ぎ、それを支える水・海産物・森林・農地・資源が明らかに不足している。現代の戦争は資源獲得を目的だとするダイヤモンド教授は、人口の減少により、「世界はより平和で安定し、より幸福で豊かな世界になる」と、かなり楽観的な結論を導いている(同上、9/20/24)。
ところで、益々悪化する異常気象により、干ばつ・山火事や洪水が世界各地で発生。二〇二二年のヨーロッパは、過去五百年で最悪の干ばつを体験した。しかも、地球温暖化のため各地で氷河が溶け出し、南太平洋の島嶼国では海面下に沈む危険性が指摘されて久しく、我国は今夏、かつてない猛暑や線状降水帯による災害に苦しんだ。
江戸時代の再評価
そこで私がここで注目するのは、「数が少ないなりの国民の質」ということであり、「歴史的革命」と西欧の歴史学会で通称する「明治維新」の背景にある江戸時代の再評価である。
江戸末期の人口はわずかに三千四百万人、しかも、「質が極めて」高く、その彼等が、「明治維新革命」を起こしたのである。そして、日清、日露の戦役に勝利したばかりか、欧米先進国と伍する、天皇中心の近代中央集権国家をわずか四十年足らずで樹立してしまったのである。言わずもがな、この質の高さは、まさに二百六十五年間続いた江戸時代が時間をかけてじっくりと醸成したものであった。
幕府崩壊時二百七十一家の大名による藩があり、国家の中に中小国家が乱立。軍事力と経済力で遥かに勝り、植民地獲得競争に狂奔する欧米の前に、まさに日本は風前の灯であった。開国後強いられた不平等条約の改定に、実に四十三年の長きを要したことでも、明治新政府の置かれた極めて厳しい国際状況が分かろう。
なお、江戸時代は、ペリー提督による開国まで鎖国体制下にあったが、オランダ・中国・琉球を通じて門戸は世界に開かれており、幕府や薩長等の有力藩は、海外事情にかなり通じていた。しかも、その間、人々は世界でも極めて稀な平和を享受し、目覚ましい経済的・社会的・文化的発展を遂げ、日本人独特の国民性や気質を豊かに育み、以後の西欧化・近代化路線の下準備となった。
参勤交代制度は、江戸と全国を結ぶ五街道を陸上幹線道として物資輸送や宿場・飛脚制度を発展させ、物流や為替制度等、初期資本主義社会を既に確立していた。各藩では地方色豊かな文化を促進し、様々な特産品を生み出し、国内流通のための近海の海上交通も大いに拡大した。
また、武士階級が学ぶ藩校制度が整い、優秀な若者は幕府の昌平黌で学ぶか、江戸・長崎に留学した。
主要都市では著名な学者の塾が林立し、江戸では「雄大な志を持った」優れた若侍が三大剣術道場に群れをなし、藩を超えた交流や情報交換を通じて、国難と映じた日本の危機に早くも目覚め、倒幕運動へと繋がっていった。伝統的に教育重視の日本社会では、庶民の多くが寺子屋で学び、識字率は世界有数であった。また、江戸はヨーロッパに比肩する百万都市であり、上下水道まで敷設され、庶民は貧しくはあっても、明らかに衛生的、かつ安定した幸福な生活を送っていたのである。歴史教育の弊害を超えて
最後に指摘したいのは、明治維新に連なる江戸時代の発展の諸相を考察しようとしない、高校までの戦後歴史教育の致命的欠陥であり、橋本秀雄氏は、「子供たちに志を育む教育」の視点から鋭く批判した(本誌去年十月号)。しかし、戦後長きにわたる受験本位の教育の歪みにより、幅広い知識としての教養や、かつての日本の精神風土に濃厚に存在していた「文化の習得による人格形成という意味の教養」、言い換えれば儒教・道教・神道・仏教を主軸とする伝統的全人教育、即ち実践道徳が、西欧からの輸入学問の専門化・細分化・緻密化の前に、急速に失われていったことは、いくら強調しても足りない。
それは受験の点数稼ぎだけに集中した、「雑多な知識の寄せ集め」でしかなく、歴史を動かす諸潮流や政治的・経済的・社会的・思想的背景は勿論、歴史研究の意義等深く考察する筈がない。しかも、高校では今や地理・世界史・日本史が三大選択科目となり、歴史の知識が中学教科書レベルの人材を拡大再生産して止まない。かくてグローバル化が如何に進んでも、自国の真の過去を知らぬ、世界情勢に甚だ疎い若者を輩出し続けているのである。