『日本』令和6年11月号
十一月号巻頭言 「『形勢略記』の一節」 解説
高杉晋作が笠間城下の加藤桜老(おうろう)(会沢正志斎の門人、名は有隣)の書斎(十三山書楼)を二度目に訪問したのは、文久二年(一八六二) 閏うるう八月のことであつた。
晋作は同年四月、幕吏と共に、上海、北京を訪ねてゐる。まさに太平天国の乱の最中であり、銃声の轟く中での訪問である。晋作は早くから、攘夷の兵制を整へることを考へてゐた。帰国後は単独で大砲購入の計画を立てたが失敗に終はつてゐる。その直後の訪問であつた。目的は具体的には記録に残されてゐないが、両人の対話記録の端端からは相当の決意が語られたやうである。先人の研究では攘夷の挙兵の依頼でなかつたかとも記されてゐる。この「略記」は、後に奇兵隊を組織する決意書といへるであらう。
原文は笠間の元士族の情報機関誌『笠間郷友会会報』(四十号)に桜老の子孫加藤熈彦氏が紹介されたものを、筆者が『藝林』(二十二―二)に再録し、後に人物往来社の『高杉晋作全集』に収録されたものである。
なほ、今回は読み易くして掲載した。
(久野勝弥)