『日本』令和6年5月号
古事記絵画を通して日本文化の根源を知る
小灘一紀 / 画家
私は令和四年度、第七十九回日本芸術院賞を天皇皇后両陛下の御臨席のもとに、受賞させて頂きました。受賞作品の題名は「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の悲しみ」です。二十年以上『古事記』を油彩画に描き続けてきたことへの評価でした。
日本画ならまだしも洋画で神話を描くことには非常に批判的な時代でしたが、挫(くじ)けずひたすら描き続けました。神話作品で受賞できたことに、時代の変遷を感じます。これは東日本大震災で自然の驚異に畏敬の念を甦(よみがえ)らせ、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮などで、連綿と受け継がれてきた民族の基(もとい)を悟ることができたからだと思います。
さらに「古事記編纂千三百年」を転機に、『古事記』が見直されたのも要因の一つです。「古事記編纂千三百年」記念企画として、故郷の山陰の地の美術館、文化ホールなど六か所での神話展や講演会をはじめ、淡路島、大阪、伊勢、東京などの各地で神話絵画展を開催していただき、『古事記』を絵画で楽しんでいただくことができました。
画家を志して
私が生まれてすぐに父は戦死し、兄弟もない私の教育係を、多忙な母に代わり、隣家の母の弟が務めてくれました。裕福ではないがピアノも備え、教育者で美術愛好家の叔父は、朝夕の食卓で美術や音楽、文学の話をしてくれました。
ある時、『世界』という雑誌に掲載の靉光(あいみつ)(本名 石村日郎)の自画像の素晴(すば)らしさを話してくれました。幼い私にも力強い迫真性のある自画像は心に刻まれ、美術の道に入るきっかけとなりました。
また叔父に連れられて観たゴッホの映画は、「西洋絵画はミレーの時代で終わった」とゴッホが宗教心を失い、科学が代わって神になりつつある十九世紀を如何に生きるか苦悩する孤独な姿が心をうちました。私が画家を志したいと言った時の「画家になるなら死んでから認められるくらいの覚悟でやれ」との叔父の言葉は、今でも心の支えになっています。
西洋絵画の精神と技術を求めて
戦後教育を受けて育った私が、美術学校を卒業する頃の美術界は、ほとんど欧米の新美術運動に沿(そ)って新様式を求める絵画が流行し、持てはやされていました。私はその風潮になじめず、西洋油彩画の古典と言われるデューラー(ドイツ)やレンブラン卜(オランダ)、特にスペイン宗教絵画の表現を研究しました。
アメリカの美術も評価できますが、西洋の古典画には長い歴史に培われたロゴスの文化が根づいていて、深く感じるところがありました。特にスペイン絵画の巨匠ベラスケス、リべラ、スルバランといった十六~十七世紀の美術に、私は取りつかれました。
暗黒の闇に浮かぶ十字架のキリス卜、激しい明暗のコン卜ラス卜で表現された聖者や静物画の迫真性に、圧倒されました。ところが日本ではスペイン絵画とは逆で、明暗をつけ迫真的に描くと「モノから魂が抜ける」と信じられ、明暗をつけないのが日本画の特徴でしたが、私は彫刻科出身なのでスペイン画の立体性に感銘したのです。
スペインの作品を凝視すると、濃い黒色は夜の闇を想像させ、神秘的な空間の中に強い宗教心が潜(ひそ)みます。何か崇高な心を求め続ける精神の美しさがあり、リアリズム表現を通して目に見えないモノを表出しています。深い哀しみの表現が「祈り」となっていて、それは私の神話絵画の技法へ大きく影響しています。
日本の神々は現代人と変わらず、哀しみ、悩み、成長していきますが、その内面まで絞(しぼ)り出し表現するには、スペイン画は多いに参考になりました。
『古事記』を絵画で楽しむ
郷里の鳥取県境港市に帰省の度、漁業は衰え田畑は荒れて、少年時代の見慣れた景色は失われ、心を癒(いや)す風景は廃れていました。だが、境港市には我が家と同じ檀家の「水木しげる」がいます。その漫画に出てくる「のんのん婆」のような、神仏を熱心に拝む「おがみて」がいる風土です。信仰心は厚く、出雲神話の神々のお祭りは大切に受け継がれ、神社だけはキラ星のように点在しています。
しかし、私は神々が息づく環境にありながら、この地域の人々さえ、戦後教育の浸透で神話の記憶が薄れていることに危惧しはじめました。私は漸く油彩で風景画、静物画、人物画など何でも描ける技術を学習し、神話を絵画で蘇らせる決心をして、これをライフワークに選びました。
しかし、神話を描くに当たり、困難に直面しました。西洋画では十字架のキリス卜がそれぞれの時代の作家達により描かれ、「愛」が自己犠牲の精神であることを教えました。異民族が多く、文盲の人にも絵画を通して西洋文化の中核を伝えてきました。
だが日本では、神像は多く作られていますが、日本の神々は「かたち」に表さないものと古来より考えられています。これは私を悩ませましたが、神社本庁の考え方が「外国の神様と違って、日本の神様は豊かな創造で支えられているので、悪意や残酷さがなければ自由」と伝え聞き、安心しました。私は場面的に神々の内面を抉(えぐ) り出しますが、基本的には神々は神秘的に描きたいと苦慮しています。神話には日本文化の根源がある
神話は歴史とは言えませんが、国の成り立ちや民族のエネルギーが詰まっています。ゴッホは日本の浮世絵を観て、「自分がまるで花でもあるかのように自然の中に生きる。こんな単純なことを日本人は教えてくれる。これが真の宗教ではなかろうか」と日本文化の本質を見抜き、弟テオへの手紙に記しています。
古代より日本の神は圧倒する支配者ではありません。大地を耕し、田に稲を植え、稲穂を育てる人々に寄り添い、共に収穫を喜ぶ祭りを行いました。そこに自然・神・天皇・国民が混然一体となって助け合う共同体の精神があります。この国の八百万の神々は人間に寄り添い、見守ってくれる身近な存在です。
荒ぶる神、須佐之男命(すさのおのみこと)の苦悩を通して喜怒哀楽を身につけ、芯のある神に成長する姿や、倭建命(やまとたけるのみこと)の心の葛藤、さらには弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の自己犠牲の精神など、何度でも描きたい題材です。
私の神話絵画は、絶えることなく祖先が守ってきたこの国の文化の本質を追究し、これを未来に継承することにあります。