9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和6年8月号

自衛隊と軍隊について考える        

 廣瀬 誠 /元自衛官


今年の春に、自衛官による靖國神社参拝と、自衛隊の部隊がSNS上で「大東亜戦争」の呼称を用いた記事を載せたことに対する非難の論調が一部に見られた。このことについて、本年六月号の「今月の課題」で葛城奈海氏が詳しく論じておられる。本稿では、戦前と戦後を貫いて流れる時間軸という視点と、自衛隊と軍隊という視点から改めて考えてみたい。


まず、前者の靖國神社参拝問題である。この問題の本質は、「国家のために戦って命を失った英霊を、公人として慰霊・参拝することができないのは、現在の国家と戦前の国家の間が断たれていることを示している」ことにあるのではないか。公人としての参拝を禁じる背景に「政教分離」の原則があるのだが、視点を変えれば現在の日本という国は、国のために命を捧げた人々を国家として追悼することを避けているようにしか見えない。毎年の全国戦没者追悼式は、戦争で亡くなった方々を国家として追悼する行事である。しかし、常在する追悼施設としての靖國神社をわが国の要人は勿論、外国元首を含む各国を代表する人々が参拝して敬意を表することを、わが国では敬遠しているように見える。このことは、視線を過去から未来に転換すれば次のような疑問を生む。「国のために戦って亡くなられた先人を国家として追悼する施設を持たず、靖國神社に公人として参拝することも許さないということを踏まえると、今後、国家のために戦う者を追悼する国家としての確乎たる意志は期待できるのか」と。すなわち、このことは歴史的な問題であると同時に、わが国防衛に任ずる組織や人々にとって、未来の大切な問題を提起している。戦前の軍人と自衛官は、「国を守る」使命観については、これを共有している。靖國神社への公人としての参拝の議論は、わが国の歴史の繋がりや自衛官の任務を置き去りにしたものになっていないか。


次に、「大東亜戦争」の呼称の問題である。先の大戦を、今は太平洋戦争あるいはアジア太平洋戦争等と呼ぶようである。今回、戦歿者追悼行事に関する記事において「大東亜戦争」の呼称が用いられ、一部の批判を受けて当該部分は削除されたという。防衛省は、「慰霊そのものが重要であり、大東亜戦争という表記によって、大きな問題化することは本意ではない」との考えとのこと。

しかし、「大東亜戦争」の呼称は、政府も重要とする「慰霊そのもの」と深く関わっている。「大東亜戦争」という呼称にはこの戦争の目的が読み込まれており、少なくともこの呼称のもとに日本国と日本軍は戦ったのであり、葛城氏の指摘のとおり、靖國神社の英霊もこの呼称の戦争を戦って散華されたのである。「大東亜戦争」の呼称を定めた閣議決定を軽く見ることと合わせて、ここでも戦前の国家と戦後の国家の間が断たれているとの感を強くする。

私たちは、戦後、先の大戦を反省する旨を国内外に繰り返して明言してきている。しかし、主体的かつ具体的な反省となっているのだろうか。「大東亜戦争」の呼称を忌避して、この戦争の全体像を俯瞰できる現在の立ち位置から第三者的な視点で当時を振り返るだけでは、本当の意味の反省をすることは難しい。なぜなら、当時の人々は、当時の限られた情報の中で、不確かな未来に向かって、国家と国民のために最善の方途を懸命に探ったのであり、その上で、「大東亜戦争」を戦ったのである。結末の判った「太平洋戦争」を戦ったのではない。私たちは、「客観的」と称して、自国の来し方を自らの視点で考えることを避けていないだろうか。そのように当時の立場で歴史を辿り、他国からの見方と付き合わせて考えてみなければ、本当の意味の反省はできないであろう。自国からの見方を一方的に排除して立体的な歴史の姿を再構成することはできない。「太平洋戦争」は、アメリカ側から第二次大戦の太平洋地域での戦いを呼称するものであり、「大東亜戦争」を使用しなければ、日本側から見た「あの戦争」の戦争目的や戦われた地域等を理解することはできない。

近代史を顧みれば、わが国は幕末の国家的危機を乗り越え、明治以来、国を挙げてその近代化を進め、国際社会での地位を築くため力を尽くしてきた。そして、その終局が大東亜戦争である。その意味で、この七十年余りの近代化の歴史は、間違いなく国家的・民族的な一連の大事業と呼ぶべきものであり、その評価云々の前に、私たち国民がわが事として受け止めるべきものであろう。「その歴史的事実の先に私たちの現在はある」という切実な感覚は、歴史に学ぶ際に是非とも必要なものではあるまいか。この意味で、当事者の立場から考える手段を制限してしまっては、真の意味での深刻な反省も、「太平洋戦争」と「大東亜戦争」という両方の見方の比較考察で得られるべき貴重な教訓も、望むべきバランスの取れた評価を得ることもできないのではないだろうか。


以上のように、「大東亜戦争」のような特定の用語への拘りがあり、これにより事象の本質が隠れてしまって、本来考えるべき思考の幅を狭めてしまう傾向は、現代の日本では特に強いように感じる。


戦後の防衛政策において、憲法九条の規定を受け自衛隊と「軍隊」の線引きとして、「必要最小限」はキーワードであった。具体的な戦力を構築するための防衛力整備も「必要最小限」であり、その力の運用である作戦行動等も「必要最小限」とされる。たしかに、一般論として武力というものについて抑制的に考えることは大事なことであろう。しかし、戦い、すなわち武力の衝突においては、一般に圧倒的な優位を持った側は、最小限の味方の損害で目的を達成できるが、戦力拮抗の状態で戦えば、たとえ首尾よく任務を達成できたとしても多くの損害が出るものである。更に言えば、たとえ敵の侵攻を食い止め得ても、敵によって既に占領された地域はその状態が既成事実化することは、ウクライナでも証明済みである。「専守防衛」は、敵に初動を制されることを甘受することを意味するが、そのような戦い方が可能な場合とは、失地を回復することができるだけの十分な戦力をわが方が保持し、かつその戦力が初動の衝撃から生き残ることができる場合だけである。そのためには、国民の避難用防護施設とともに、防空能力及び兵器防護の掩体施設等を大規模に整備することも必要となろう。

自衛隊を「軍隊」と認めないための「必要最小限」として、「専守防衛」「集団的自衛権の制限」等の多くの概念が自衛隊の発足以来長い時間をかけて、ある意味で周密な枠組みとして構築されてきた。「専守防衛」は、日本国憲法と「平和主義」から直接導き出されている。本来、国の防衛戦略は、自国と関係諸国等の力の評価を基本に、自国の国益と国際的な戦略的・地政学的視点、自国の信奉する理念や理想と普遍的な理念・理想を総合的に考察した成果であるべきだが、わが国では、イデオロギーや理念に強く拘束されている印象を受ける。換言すれば、力の論理はここでは意図的に後景に下げられているように見える。これにより、合理的な選択肢の幅がはじめから狭められた形となり、考え得るわが国防衛のための他の有効な方途を最初から排除してしまう可能性が出て来る。敵基地反撃能力などはその一端に過ぎない。


また、自衛隊は、「軍隊ではない」としているための当然の帰結として、平時の行政組織としての性格が強い。自衛隊の枠組みとなる人事行政上の法制は一般職並びが基本となっている。軍刑法が欠落しており、従って軍事法廷も存在しない。自衛隊の姿は、平時の法執行機関に近いのである。たとえば、敵兵を撃った場合、一般刑法が適用されるのかなどと言われるのはそのためである。米軍はその国内での活動が原則禁じられており、運用の基本は国外にある。自衛隊の運用の基本は、国内であり周知のとおり海外派兵は禁じられている。この両者の対照的構図は象徴的である。その一方で、外国から見る自衛隊は「セルフ・ディフェンス・フォース」、すなわち軍隊(フォース)であり、たとえば三等陸佐はメジャー(少佐)と説明される。自衛隊を軍隊ではないと規定し、戦前の軍人や列国の軍人とは異なる、軍人でもなく文民でもないというその前例を見ない位置づけに置いて、国防に任ずる武人としての自衛官の自己規定を、どこにどのように求めるべきなのだろうか。このような歪みを持ったままでわが国を取り巻く厳しい情勢をしのいでいくことの困難を、熟慮再考すべきである。


国の防衛に関する政策選択の幅が長い間の積み重ねによって狭くなっていることに、私たち国民がもっと意識的になる必要があることを、近年の厳しい国際情勢は告げている。安全保障政策は、国際情勢の関数である。国際情勢が大きく変化しているにも拘らず、政策選択の幅が変わらない、変えられないことは、不合理ではないだろうか。自衛隊を軍隊でないとする枠組みから生じる歪みは、政策選択の幅の問題だけでなく、自衛官の自己規定にも混乱をもたらすものである。自衛隊の「防衛行動」の性格は、本質的に「軍隊」のものである。自衛隊が軍隊であることを、国家として一刻も早く明確にするべきであろう。