『日本』令和6年9月号
オイスカ研修生の見た日本
静かな人々が住む平等の国
ドゥリシャ・クルパッタ /(インド)
私は日本に来る前、インドの南、ケララ州政府で仕事をしていました。大学では農業を学んでいたので、日本で農業を学ぶ研修生の募集をしていることを知り、応募して今は福岡県にあるオイスカ西日本研修センターで農業を学んでいます。センターは山に囲まれた場所にあり、地域のいろいろな人たちと交流をしながら生活をしています。
インドから日本に来て、私が最初に抱いたのは「静かな国」というイメージです。来日した日、福岡空港から外に出て見た景色は、思い描いていた日本の街の様子でした。でも車でセンターに向かって行くと、どんどん建物は少なくなり、人も少なくなっていきました。センターに着くころには、高い建物はなく、田んぼばかりで人はほとんどいませんでした。インドは田舎の村でも人であふれていますが、日本はこんなに人が少ないのかと驚きました。道路もクラクションを鳴らす人がいなくて、みんな整然と車を走らせていて町が静かです。
そして、あまりに静かで驚いたのは映画館です。インドでは映画を見ながら大声で笑ったり、感動する場面で拍手をしたりするのはもちろんですが、スクリーンに向かって声援を送ったり、踊る主人公と一緒に踊り出してみたり、みんな自由に映画を楽しんでいます。でも、日本人はみんな黙って映画を見ていました。私が声を出すと、引率の先生から「しー! 静かに!」と注意されました。静かに映画を見ている日本人を見て、もっと自由に映画を楽しんだらいいのにと思いました。
また、インドと日本の大きな違いの一つは時間に対する考え方です。私は日本に来て、五分前行動を学びました。日本人は時間を守ることに厳しいですが、インドはそうではありません。特に公務員で役職の高い人ほど時間を守りません。例えば、市長の就任式に大勢の人が集まるとします。式典が十一時開始なら、私は市長に「十時に始まる」と伝えなければなりません。もし十一時だと伝えたら、市長は十二時にならないと会場に現れないでしょう。集まった大勢の人を待たせてしまうことになるので、私は一時間早い時間を伝えるのです。待つ人たちも、立場が上の人が遅れても文句を言うことはできませんから、こうした習慣がよくなることはありません。
他にも気づいたことがあります。インドでは役職の高い人たちは事務所の掃除はしません。掃除は身分の低い人の仕事だと考えられているからです。自分が王様であるかのようにふるまう人もいます。日本では人に身分の高い、低いはありませんし、仕事に良い、悪いもありません。オイスカの研修センターでは所長も副所長も一緒に掃除をして、研修農場でも一緒に作業をします。
もし、先生が農場に来なかったら、私はこの先生から教室で講義を受ける時、心に入ってきません。でも日本では、先生たちが私たち研修生と同じように農場で体を動かしながら、その中で大切なことを教えてくれますから心に入ってきます。オイスカだけではありません。県知事や市長を表敬した際も、王様のように偉そうにしている人はいませんから、最初はどの人が県知事なのか、市長なのか分かりませんでした。イベントなどでお会いした時、私たちに友達に声をかけるように気さくに接してくれるので、後から「あの人は市長さんだよ」と聞いて驚くこともあります。日本は立場が上でも下でも、どんな仕事をしていても人は平等なのだと感じます。
日本で学んで良かったと思っていることは、目標やスケジュールを立てて仕事をすることです。今日一日だけではなく、今月の目標や年間のスケジュールも決まっていて、それを守りながら仕事をするのはとても効率がいいと思いました。国に帰ってからのアクションプランを作りましたから、この計画通りに活動できるようにしたいです。
また、私がインドに持ち帰りたいのは、ごみをポイ捨てしない気持ちです。日本ではどこでもごみ箱があり、正しく分別をして捨てることが習慣になっています。インドでは、どこにでもごみをポイ捨てしてしまっていた私ですが、日本で生活した今、ごみが落ちているのが気持ち悪いので、自分が捨てたものではなくても、拾ってごみ箱に捨てるようになりました。
将来、インドも人々が平等で、時間を守り、ごみの落ちていない国になってほしいですが、日本のように静かにはならず、今のままのにぎやかなインドでいいと思っています。